進学塾ISM(イズム) 伊勢1号館の口コミ・評判
進学塾ISM(イズム) 伊勢1号館 保護者(父親)の口コミ・評判【2015年04月から週2日通塾】(41821)
総合評価
4
- 通塾期間: 2015年4月〜2019年2月
- 通塾頻度: 週2日
- 塾に通っていた目的: 大学受験
- 成績/偏差値:上がった
- 第一志望校: 名古屋市立大学
総合評価へのコメント
総合的な満足度
先生の質や熱意、アクセスの良さ、自習室も朝から遅い時間まで、お正月も含めて開いており、全ての環境が整っており、他の方にめ勧めることができる進学塾だと思います。おかげさまで、第一志望の大学にも進学できたことも大きいです。
この塾が性格に合っていると思った点、合っていないと思った点
生徒との相性、学校から帰り道であること、提示するカリキュラムについても強要することはなく、あくまでも子供本人の希望を尊重することがよかったと思います。また自習室の環境もよく、夜遅くまでやっていること、中でも冬休みはお正月も、朝から遅い時間まで運営していただき、特に不満もなかったです。
目次
保護者プロフィール
回答者:
父親(50代・会社員)
お住まい:
三重県
配偶者の職業:
アルバイト・契約社員
世帯年収:
1001~1500万
生徒プロフィール
通っていた学校種別:
公立
教室:
進学塾ISM(イズム) 伊勢1号館
通塾期間:
2015年4月〜2019年2月
通塾頻度:
週2日
塾に通っていた目的:
大学受験
志望していた学校
成績について
入塾時の成績/偏差値:
40
(河合塾)
卒塾時の成績/偏差値:
62
(河合塾)
費用について
塾にかかった月額費用:
40,001~50,000円
塾にかかった年間費用:
60万円
この塾に決めた理由
友達も通っており、その口コミと自分自身の相性を中心に検討しました。子供本人の意志を尊重しました。この塾に入ってからも、相性がよかったのか、中学3年生から、高校3年生まで続けることができました。
講師・授業の質
講師陣の特徴
プロの専任講師の方が、担任に近い形で受け持っていただいたように記憶をしております。40代の先生でご自身も受験のお子さんを持つ方でもあり、熱意のある先生でした。地方の典型的な方で、国公立大学を勧める塾の志向があったと感じでおりました。
生徒からの質問に対する対応の有無
あり
勉強の不明点から、受験の相談まで乗っていただいたました。
1日あたりの授業時間について
3〜4時間
授業の形式・流れ・雰囲気
子供本人の実力と希望を踏まえてコースが振り分けられ、定期的に、確か3ヶ月で見直しがあったように記憶をしています。先生の熱意が熱く、その熱意を受け入れられるのであれば、いい進学塾ではないかと思います。 おかげさまで、中学校3年生から、高校3年生の卒業まで、この塾を辞めずに続けることができました。
テキスト・教材について
学校の教科書に沿ったものではなく、大学受験を意識した内容でした。
指導方針・カリキュラム
カリキュラムについて
大学受験期になると、かなり多数のコースを示す傾向にあり、それらを全て受験すると、100万円くらいになり、びっくりしました。実際は、子供本人が必要なものだけを受け、実際はその半分くらいに収まりました。国公立大学を希望すると、どうしでも高いついてしまいます。
定期テストについて
確か3ヶ月ごとに、クラスの振り分けに使用しているのではないかと思います。
宿題について
学校の宿題との両立が大変でしたが、それについていくことができたら、着実に実力が伴うものだったと思います。進学していた高校の宿題も多く、こなすのが大変だったのでないと思います。
塾のサポート体制
保護者への連絡手段
電話連絡
保護者への連絡頻度・内容などについて
3ヶ月に1回
集合形式の懇談会や進学説明会や相談会、個別の面談もあり、特に個別面談においてはきめ細やかに相談に乗っていただき、大変よかったと、今振り返ってもよかったと思っております。
保護者との個人面談について
半年に1回
子供本人の希望と、親の希望を踏まえて、模試の成績の推移の現状の把握から、受験をする大学、併願校の選定、その希望に応じた塾のカリキュラムについても説明がありました。
成績が不振だった場合の塾側との相談・アドバイスについて
低い成績から、国公立大学まで合格することができましたので、生徒を見守り、寄り添いながら、生徒が相談し易い雰囲気を作っていたのではないかと思います。
アクセス・周りの環境
通学している学校の帰り道であり、車での送り迎えもし易い場所でした。自習室も充実しており、高校3年生の時はかなり利用させていただきました。
家庭でのサポート
あり
寒い時期や冬休みの塾への送り迎えを中心のサポートが中心でした。高校に進学してからは、さすがに親が教えることができなかったので、子供の話を聞いてあげることが中心だったような記憶があります。