名城大学への合格体験記 高1から学習開始時の偏差値45(24420) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 45
- 受験直前の偏差値
- 52
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 50,001~100,000円
通塾期間
- 高1
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
高2 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
高3 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
当初からの志望校に合格できたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・偏差値を気にしすぎず、通える範囲で学校見学に行ったこと
まずは自らがモチベーションを持ち続けられるよう、目標設定を比較的早い段階からしっかりと設定でたことが良かったと思う。仲の良い先輩が志望校の志望学部に入学していたので、早い段階からなにかと学校の情報や勉強の方法などかなりいいアドバイスをもらっていたことも大きな要因となったように思う。ブレずに試験勉強をやりおせていたことが合格の大きな要因となったような気がする。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供に何がしたいのかを考える機会をもたせること
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
学校、学部の選択を早い段階で行えたことは、本人のモチベーション維持のために大きな要因となったように思う。また、実際にその学校のその学部に通っている先輩のキャンパスライフを聞く機会を保てたことも本人がモチベーション維持には役立ったと思う。要は、何年か意識を集中させることができるか否が大きな分岐点になるように感じる。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+10以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値+10以上 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
情報収集によって安全値を見込んだ設定値
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分がどんなキャンパスライフを送りたいかを想像させたい
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週2日 | 50,001~100,000円 |
高2 | 週3日 | 50,001~100,000円 |
高3 | 週3日 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
先輩や友人が通っていたから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
自主的に苦手科目の克服に取組むような指導をしてくれるような講師がいたことがありがたかった。講師との相性も塾に通う子供にとってはモチベーションを高める大きな要因になると思うし、実際にそういう傾向になっていたように感じられた。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
親の期待をプレッシャーにしないよう心がけた
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
親の期待が子供のプレッシャーにならないようにと、できるだけ普段通りの家庭生活を心がけた。また、本人の自主性でモチベーションを高められる、維持できるようにとあまり口出ししないよう、できるだけ見守るような気持ちで接するようにしていた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
親の期待が子供のプレッシャーにならないように心がける。結局、受験するのは子供自身であることを自覚してもらえるように、自らの問題とできるようにと心がけたつもりだし、実際にそういう意識を子供が持ってくれたなと感じられた
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。