愛知学院大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値52(24625) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 52
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 10,001~20,000円
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1時間以内 |
高2 | 通塾していない | 1時間以内 |
高3 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
国語
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
もう少し早くから頑張るようにすればよかった。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
高校時代は部活動(運動部)を一生懸命やっていたので、三年生の夏前までは勉強はほとんどしていなかったようです。しかし、三年生の夏頃からは周りの友達も勉強に取り組むようになったようで、少しは焦りのようなものが見えていましたが、親としては、ここまでの部活の頑張りからの開放感も味わわせたいと思ったために、あまり強く勉強を勧めませんでした。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
心をおににすることも必要だったかな。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校からの情報
大学受験に対しての意識がとても低かったので、本人は情報収集に対しても意識が低かったように思います。女子なので、近いところの大学を選ぶという視点しか持ち合わすことがなく、学校での面談などを中心とした志望校選びをしていたようです。もう少し将来のビジョンをもって、自分にあった大学選びができると良かったかと思いますが、本人は大学生活に満足しているようです。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
チャレンジはしてみればよいと思うので。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
将来を見据えて志望校選びをしよう。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週1日 | 10,001~20,000円 |
塾を選んだ理由
歴史があり、メジャーなところだから。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎予習/復習など自習の習慣がついた
塾の取り組みかどうかは分かりませんが、俗に言うところの「机に向かう」という時間が家庭でも増えていたように思います。取り組むべき課題のようなものを与えられれば、取り組みにかかるタイプなので、自分で課題を選んで取り組むことはなかなかできませんでした。塾ではテキストなどで課題があったことが変化として大きかったと思います。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
先生にしっかりとききましょう。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
家庭では大学入試問題などは一緒に考えたり、問題を解いたりすることはできません。親にはその能力がありませんので。できることといえば、邪魔しないことぐらいと思っていたので、環境づくりの手伝いぐらいしかできませんでした。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
過去問などでできるもの、できる教科があれば、一緒に取り組むと、良いかもしれませんが、それでも娘と父親ではなかなか年頃的に難しいこともあるのではないかと思います。側方支援をできる限りやることが、父親としてはできることなのかなと自分の環境では思いました。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。