北海道大学への合格体験記 高卒生から学習開始時の偏差値61(28369) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 61
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 50,001~100,000円
通塾期間
- 高卒生
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高卒生夏
-
- 夏期講習受講
- 高卒生冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高3 | 3〜4時間 | 3〜4時間 |
高卒生 | 3〜4時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
子どもが希望するところに合格できたので。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
高校では部活動に力を入れていたので、学習時間としてはどうしても短くなってしまいましたご、その分、友人が出来、多くのと切磋琢磨できたことが人間的な成長にも繋がったと思います。粘り強くなったことが受験にも生きたと思います
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
一年生から、徹底した授業理解と基礎基本の徹底をしよう。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
インターネットや受験雑誌がとても役に立ちました。もちろん塾こらの情報もありましたが、ネットには口コミも含め実に様々な情報があり、2人でいろいろ調べて行きました。その情報は、もちろん怪しいものもありましたが、とても役立ちました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
特にありません。目安にだし、基本的には子どもの気持ちを大切にしました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
第一志望を大切にしなさい
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 通塾していない | 通塾していない |
高卒生 | 週5日以上 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
基礎基本を大切にしており、情報も豊富なの持つから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
英語が苦手でしたが、基礎基本くらしっかりと教えていただき、きちんと力をつけることができました。点数はそこまでではなかったかもしれないが、受験に使うことができると自信がついたとおもいます。二次試験でも迷うことなく英語の必要な大学を受験さそました。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特にありませんが、敢えて言うならば、質問したり、添削をお願いしたり塾を最大限活用しよう。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
浪人生の時は寮に入っていたのでなもありませんが、現役のときは、とにかく勉強に集中できる環境を心がけました。なので、外出は極力避けましたし、テレビをつけだとしても小さなおとでした。テレビもほとんど見ませんでした。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
スマホが最大の敵だと思います。大事なのはルール作り。スマホを購入した時からキチンとルールんを作り^_^守ることを約束するとこぁ大切だったと思います。こころを強くす?ことになると思います。あとは、出来るだけ子ども中心の性格を送ることが大事でしそ。子どもが集中して勉強できるような環境作りが大事です。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。