関西学院大学への合格体験記 中1から学習開始時の偏差値52(32880) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 52
- 受験直前の偏差値
- 57
- 学習時間
- 通塾していない
- 月額費用
- 通塾していない
通塾期間
- 中1
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 1〜2時間 | 2〜3時間 |
高2 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高3 | 通塾していない | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
志望大学に合格したから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
推薦も狙えるように、学内の推薦選考基準でもっとも大きなウエイトを占めていた英検の基準級は取っておくように、私が問題を作ったり、面接の練習を繰り返し行い、推薦はもらっていた。その他も自宅でも家族が受験対策で教えていた
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
弱点の教科に重点をおくべきだった
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
なんこうかオープンキャンパスに家族で訪問し、高校がミッション系と言うことと、本人が高校と同じ雰囲気の大学に気に入って、かつ家族一同も納得と望んでいた大学だったので、第一志望校をOKした。また、自宅から通学し易いと言うことも本人、家族が望んでいた理由の一つである。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
部活も両立させたかったから
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特に間違ったアドバイスはしてないと思う
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | わからない |
高2 | 通塾していない | わからない |
高3 | 通塾していない | 通塾していない |
塾を選んだ理由
アシストするサブ学生が付いていたから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
苦手科目だけの授業で入塾をさせ、ある程度までは成績の結果で通塾した効果は見られた。しかし、集団授業であったため、レベルを全体に合わせたと言うこともあったかもしれないが、ある程度のレベルから伸びなくなった。さこで、早めに退塾し、自分で勉強するクセがついていたので、家庭学習に切り替えた。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
塾選びはすごく難しかった。やはり本人のレベルと相性が合わないと、全く効果がなく、むしろ自分から合わないと言ってくれた事で最適とは言わないが、適した塾が選べた。ただし教えてるレベルがだんだん合わなくなるのも分かった。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・親も一緒に問題を解くなどを実施した
・生活リズムが崩れないように心がけた
苦手教科のもう一つであった英語については、文法や筆記のちからは付いたと思う。ただ、ある程度まで学力がのびたら、それ以上伸びなくなったので、退塾して家で教えるようにした。やはり、塾に入れっぱなしでいいというものではなく、合わなくなってきたら早めに手をうつことの大切さも実感した。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
まえにも述べたが、退塾後は自宅学習にシフトし私も数学、英語が得意立つので、親も゙受験対策の問題を作ったり、解き方のアドバイスを行ったりしていた。もし親が高校、大学受験レベルの学習に付き合えるなら、子供も親だから聞きやすいし、繰り返しでも教えられるので、家族の協力も大切である。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。