芝浦工業大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値58(33363) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 58
- 受験直前の偏差値
- 58
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
-
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 3〜4時間 | 2〜3時間 |
高3 | 2〜3時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
化学
受験者の口コミ
受験の結果
まだ第一希望の国立受験が済んでいないので受かれば満足度5
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
勉強の仕方やスケジュールを指導していただけました。その事により、効率良く受験勉強に取り組むことが出来ていたと思います。分からないことは塾で聞いて教えていただけていたのですぐに解決が出来ていたようです。偏差値をみるというわけではなく目標の大学に合格するための勉強を重点的に行っていただきました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
もう少し早く始めれば良かった
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
高校三年生の夏にいくつかの大学のオープンキャンパスや学校見学に参加させていただきました。学校までの行き方をまず知ることによって実際に4年間通うことが出きるのか考えることができました。見学では生徒の方たちの雰囲気をみたり施設の充実さを実際にみることによって学校選びに役立てました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-10以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
浪人は考えていないため満遍なく受験しました
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
先生方に相談しながら自分に合った受験校選びが出来たと思う
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週1日 | 20,001~30,000円 |
高3 | 週1日 | 20,001~30,000円 |
塾を選んだ理由
一人一人にあった勉強をしていただけるため
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
一番苦手としていた科目が受験では一番得意になっていました。逆に得意だった科目がそれほど点数が伸びていませんでした。国立受験のため共通テストに力をいれることが出来て平均的にまずまずの出来であったため良かったと思っています。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自習室を活用する
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
ご飯の時間はなるべく会話を多くしたり好きなテレビをみたりして家族の時間として楽しく過ごすようにしました。勉強している時間は迷惑にならないように買い物に出掛けたり大きな物音をたてないようにする一方あまり気を遣いすぎてもこちらも疲れるので普通にしていました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
親は一生懸命働いて学費の用意をすることと美味しいご飯を作ることと家庭の雰囲気を良くすることが役目であると考えて日々行動していました。受験料の支払いや願書の提出などはできる限りの手伝いました。受験当日の予定なども一緒に考えてあげました。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。