信州大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値55(3648) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 55
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高2春
-
- 春期講習受講
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 1時間以内 | 1〜2時間 |
高3 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
化学
受験者の口コミ
受験の結果
本人の行きたい学科ではなかった
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
学校以外で授業を受けたことで、苦手意識の強かった科目の学習にもすすんで取り組めたと思う。 受験の学科科目の授業だけでなく、小論文や面接対策を受けたことは、今後にもつながると思う。 受験勉強のスタートが遅く、志望校からは外れてしまったが、部活動も楽しみ高校生活も充実できたと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
スタートが肝心なので、入学当初から勉強の対策はするべき、気づいた時には追い付けないということになってしまう。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
コロナ禍で、オープンキャンパスもなく進学説明会でパンフレットを貰うなどしたものの、実際に受検する当人も色々な大学の雰囲気を感じることなく、志望校を決めていかなければならない状況であった。結局、文理の選択と志望学科がかみ合わない状態になったので、受けられる大学が限られてしまい厳しい結果となってしまった。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
そもそも、選択肢が少なかった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
学習計画と予測が大事だと思う。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
高3 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
立地条件
通塾することで最も大きく変化したこと
◎予習/復習など自習の習慣がついた
予習と復習のリズムは作れたと思う。通塾前に比べれば、学習の効率もよくなり勉強も進むようになったと思うが、内容的に学習の詰めは甘く、振り返ってみると取りこぼしも多かったのではないかと思う。しっかりとした計画と実践が必要だ。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分のできる範囲に絞り、着実にこなしていくこと
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
子どもが興味を持ちそうな物は、排除していた。(動画サイトの契約は、受験が終わってからにした)受験の間際まで、本人は連ドラを視聴していたが、それを止めても他の何かをするだけだろうと、目をつぶっていた。多少は、勉強時間が増やせていたと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
本人が受け入れるなら、食事時間とテレビの時間の制限を提案したい。 リビングで時々勉強していたが、その回数は増やすほうが効率的だと思う。 勉強の計画と実施結果の管理も提案したい。つもりで終わっていたことが多かったように見受けられるので。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。