福岡大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値53(37980) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 53
- 受験直前の偏差値
- 57
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高3 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
化学
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
合格したので
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
私立大学の受験は過去の傾向があるので、それに合わせた取り組みを行ってきた。塾の講師の中に同大学の受験経験者もいて、具体的にわかりやすく説明してもらった。自習室も比較的静かで、勉強に集中できた。私立大学なので、受験に必要な科目のみの対策で済んだことも結果的に良かったと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
後悔の無いように取り組んでほしい
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
大学自体は地元なので、近くの場所を通ることも多々あり、身近な存在であった。ただ学校内に入ることは無かったので、新鮮な感じを覚えた。オープンキャンパスを通じて、具体的に薬学部の役目を知ることができ、6年間の学校生活のイメージを想像することができた。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
金銭的に県外の私立はできないと判断したので、それに合わせて対応した
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
地元の大学でもそう簡単な受験では無いので、しっかり目標をもって臨んでほしい。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週2日 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
大手であり、交通の便も良かったため
通塾することで最も大きく変化したこと
◎短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
比較的知人が少なかったこともあり、集中して勉強する習慣が身についたみたい。大手ならではの情報量を駆使していただき、受験に対する不安を少しずつ取り払ってくれた。学校とは違う勉強の方法なので、受験科目に重点を置き、また受験校の出題傾向に合わせた対策も功を奏した。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
一生に何度も経験することでは無いので、この瞬間を大切にしてほしい
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
受験とは言え、普段と変わらぬ生活リズムを維持できるように努めてきた。休みの日には気分転換に外出したり、健康も兼ねてウオーキングに出掛けたり、受験は高校生活の一環として取り組めるように心がけた。ただ自宅では勉強しやすい環境つくりにも気を使った。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
勉強する習慣が身につけば、特段変わることないリズムで過ごすことが大事かと思う。子どもは小さい時から朝活動派なので、夜は割り切って早寝し、早朝より勉学に取り組んできた。私自身も朝派なので、同じリズムの家族がいることは、お互いにとっても良かったのではないかと思う。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。