同志社大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値50(38172) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 50
- 受験直前の偏差値
- 61
- 学習時間
- 通塾していない
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
-
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高2 | 通塾していない | 学習していない |
高3 | 通塾していない | 学習していない |
高卒生 | 通塾していない | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
同志社大学に行きたかったから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
同志社は合格最低ラインが7割なので、暗記できるものは完璧に、そしてケアレスミスをしないように集中力も切れないように体力もつけながら勉強しました。息子には河合塾がとにかく合っていたので、塾選びは特に重要だと思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
不安でいっぱいだと思うスタート時期は1日1日を無駄にしないこと。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
浪人したので関関同立の中でも、1番難関である同志社に行きたかったようで、学校情報を自分で調べて塾でも相談して、また受ける学部も慎重に調べて志望校を決めていました。同志社は関関同立の中でも頭ひとつ上だと塾の先生が言われたので、どうしても受かりたく頑張りました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
浪人したので、難関である同志社を選びました.
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
毎日を無駄にせず体調に気を配りとにかく頑張ること。
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 通塾していない | 通塾していない |
高卒生 | 通塾していない | 通塾していない |
塾を選んだ理由
先に入塾した同じ浪人生の友達に紹介してもらいました。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
現役の時は模試でも全然受かる要素が無かったのですが、塾に秋から通い始めたのですがみるみる偏差値も上がり、過去問を解いても合格ラインに達するぐらいまで向上しました。苦手な分野を冬季講習を受講しさらに自信がついた感じです。
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
親はあれこれ言わず塾に全て任せていたので特にアドバイスはしていません。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
毎朝早めに起きてする科目を決めて計画的に勉強していました。決めたことは確実にこなせる様に集中力と体力をつけるようにしていました。規則正しい生活をすることはとても大切だと思いました。食事にもかなり気を使いました.
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家庭では受験のことではあまりアドバイスはせずに、塾の先生のことをとても信頼していましたので、塾にすべてまかせておりました。懇談も私は意見しては良くないかと思い、息子と2者ですべてやってもらいました。良い塾に巡り合えて本当に良かったと思ってます。
その他の受験体験記
同志社大学の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。