大阪公立大学への合格体験記 高1から学習開始時の偏差値58(38335) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 58
- 受験直前の偏差値
- 60
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高1
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高1夏
-
- 夏期講習受講
- 高1冬
-
- 冬期講習受講
- 高2春
-
- 春期講習受講
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
高2 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
高3 | 1〜2時間 | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
第一志望は落ちたが、公立大学に合格できたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
高校入学後すぐに河合塾に入塾させることにより、高校受験時に身についた日常の学習習慣が抜けないように心掛けた。 塾代は高くついたが、日ごろの定期テストなどでは本人はあまり苦労せず、基礎学力が身についたと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
受験大学別の講義は別の教室になってもうけさせるべきだった
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
大学にいる人から具体的な話を聞けたことによって、本人も具体的なイメージが湧いて、大学受験へ取り組む姿勢が良くなったと思う。 また、入学してから「思っていたのと違う」となることはかなり防げるのではないかと思う。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
各テストによって偏差値のブレがそれほどなかったので+-5ぐらいでちょうどよかった
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
今のままでよい
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週2日 | 40,001~50,000円 |
高2 | 週2日 | 40,001~50,000円 |
高3 | 週2日 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
大手予備校だとよくできたテキストなので、実力が身につくと考えたから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎予習/復習など自習の習慣がついた
高校入学後すぐから入塾し、定期的に通っていたので、日々予習復習などきちんとこなす習慣がついた。 現役生向けの講座だったので、定期テスト対策もある程度やってくれたので、普段の学習に不安を感じることはなかった。
通塾することで変化したこと
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
とくになし
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
受験生だからと言って特別夜遅くまで勉強することもなく、基本的にはこれまで身についた学習習慣を守りつつ、受験に備えた。 そのため、成績は基本的に安定しており、親子ともども不安になったりすることはあまりなく、落ち着いて受験を迎えることができた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
過去問を始める時期や、どの程度過去問を解くのがいいのかがいまいちよく分からず、結果として取り組みが浅くなってしまったと思う。 もう少し過去問にしっかり取り組めば、第一志望にも合格できたのではないかと思う。 なお、受験時に答案用紙を裏返して記載することがあったが、うちは間違えて反対から書いたようである。
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- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。