獨協埼玉中学校への合格体験記 小4から学習開始時の偏差値45(39146) 青藍学院出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 45
- 受験直前の偏差値
- 53
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
私立 小学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 成城中学校 | B判定 | 不合格 |
2 | 東京農業大学第一高等学校中等部 | B判定 | 不合格 |
3 | 獨協埼玉中学校 | B判定 | 合格 |
進学した学校
獨協埼玉中学校通塾期間
- 小4
-
- 青藍学院に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 小4夏
-
- 夏期講習受講
- 小4冬
-
- 冬期講習受講
- 小5春
-
- 春期講習受講
- 小5夏
-
- 夏期講習受講
- 小5冬
-
- 冬期講習受講
- 小6春
-
- 春期講習受講
- 小6夏
-
- 夏期講習受講
- 小6冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
小4 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
小5 | 3〜4時間 | 1〜2時間 |
小6 | 3〜4時間 | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
第一第二志望には合格しなかったから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
こどもに勉強を強制するのは将来的にもよくないことだと考えていたため、自発的に取り組むよう誘導した。最初こそ戸惑いがみられたが、塾の指導もあり段々と自発的に勉強に取り組むようになった。その代わり環境づくりや通塾に関するサポートはできる限り行った。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
それでいい。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
誰かから教えてもらう口コミ情報よりも、入学後実際に付き合うことになる教師や在校生はもちろん、教室や体育館などの施設をナマで見学してモチベーションを確認することは大事だと思っていた。選んで見学した学校はどこもよく見えたが。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
不合格によるモチベーション低下を防ぐため
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
塾での学習
受験時に通っていた塾
ココがポイント
- 小学生向けのコースが豊富にある
- 受験に向けた段階的に学習指導が可能
- 英語学習、個別指導にも対応しているので自分の希望に合わせた指導が受けられる
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
小4 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
小5 | 週4日 | 40,001~50,000円 |
小6 | 週5日以上 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
自宅から徒歩圏内にあり卒業生の口コミで高評価だったから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎予習/復習など自習の習慣がついた
まずは勉強の仕方を学ぶことができた。親からの指導が、先生からの指導や同級生たちの取り組み姿勢と平仄があっていることを本人が確認することで、自身が進むべき道やその取り組みかたについて確信に変えていき、あまりいやがらずに通塾し自宅学習に取り組むようになった。
通塾することで変化したこと
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
それでいい
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
学習が生活の一部になるよう、学校、通塾、食事、睡眠、自宅学習、などをなるべくルーティン化して、当たり前のように学習に取り組めるよう推進した。これによって勉強することにたいして嫌がったり疑問を持ったりすることなく取り組むことができたと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自宅学習を軸において、その時間を作るために食事や睡眠などのルーティンを決めて運用した。そのためには周りの家族も同様にそれぞれの生活をルーティン化する必要があったため、特に妻は食事を作ったりする面でも毎日大変だったと思う。