早稲田大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値60(39242) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 60
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 高校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 早稲田大学 | B判定 | 合格 |
2 | 早稲田大学 | A判定 | 合格 |
3 | 早稲田大学 | B判定 | 不合格 |
進学した学校
早稲田大学通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高3 | 3〜4時間 | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
国語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
期待した結果だった
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・偏差値を気にしすぎず、通える範囲で学校見学に行ったこと
自分の限界値への挑戦が初めてだあったため、最初は自分でも相当不安であった。しかしながら、最終目標としていた早稲田大学の希望する法学部に入学できたことはよかったことで、勉強をしたいという希望を捨てずに持ち続けたことが良かったと感じている
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分を最後まで、信じて突き進むこと
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
自分が中学校時代から目指していた大学であったことから、何とか一発で現役合格することが夢であり目標であったが、自分の目で大学を確認することができなかったことがやや不安で仕方がなかったが、部活の先輩による情報や塾での情報が役立ったこと
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
自分の本番で発揮できる実力を考慮したうえで
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
学校のみならず部活や友人たちとの高校生活を充実させること
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
自分の学校からJRで行くには便利であったこと
通塾することで最も大きく変化したこと
◎予習/復習など自習の習慣がついた
塾に行き始めた当初は、成績が全く上がる気配がみられず正直いって相当焦った時期があったが夏期講習をおえて、秋以降に少しずつであるが偏差値があがっていく傾向が出てきたため、手を抜かずに勉強を続けてきたことが成功に結び付く結果とっなった
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分を信じて突き進むこと
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
家庭でのとりくみ内容で示すことができる内容はほとんど何もないのが事実であるが、一つ言えることは、受験期であっても我が家では通常のそれまでの時期に過ごしていたペースと同じルーチンで過ごすことを念頭に何も変えずに過ごしたこと
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
普段と同じ生活を送ったことで受験期という特別な時期を過ごしたという認識は何もなかったことが、逆の意味で受験する本人にも無用なプレッシャーを与えることなく、いつも通りの家庭環境に置かれたことが一番良かったことであると感じている
その他の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。