東京薬科大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値54(41860) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 54
- 受験直前の偏差値
- 54
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 1〜2時間 | 2〜3時間 |
高3 | 1〜2時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
化学
受験者の口コミ
受験の結果
第一志望校に合格してほしかった
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
高校の友人と、学校帰りに塾に通う流れが出来ていたことは良かったと思います。周りの友人が勉強熱心だったかなので、本人も頑張れたのだと思います。 私からすると、時間をかけて勉強していらる分、もう少し偏差値としての成果が現れて欲しいものだと思っていました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
大学に入ってからの勉強が大変だったので、今思うと、受験勉強の方がかなり簡単で楽だったと思えているようです。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
コロナ禍で、なかなかオープンキャンパスが開催されず、開催されても予約がとれませんでした。 仕方がないので、学校の前まで行ってみたりして、少しでも学校の雰囲気がわかるように工夫しました。 警備員さんに交渉すると、少し先まで入れて頂いたりした事がありがたかったです。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
大学へのアクセスを
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
入学してから、実験などで大変なのに学部でしたので、通学時間がかかりすぎない学校の中で、偏差値が自分に近い学校を選びました。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週1日 | 20,001~30,000円 |
高3 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
学校帰りに無理なく寄れる
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
英文の読み方が一番為になったのではないかと思います。 欲を言えば、偏差値が上がって欲しかったと思います。 本人は、頑張っていたと思うので、 難しいところです。 化学がなかなか伸び悩んでいたようでした。もっと早くから取り掛かれていれば違った結果も合ったかも知れません。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
講座を絞って受講しましたが、
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・生活リズムが崩れないように心がけた
塾で帰りが遅くなりがちだったので、 軽めの夜食を用意したり、 消化の良いものなどを考えていました。 精神的にナーバスになって、それも影響して、体調が悪かったりする時期もありました。 本人の希望なさった食事を考え炊いたように思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
模試の結果に一喜一憂しないで、 前向きに進んで行けるように励ましました。 受験の日程や受験の仕方など、本人は調べる時間がないようだったので、 調べて、プリントしたり表にしたり、 事務的な作業めできることは手伝いました。
その他の受験体験記
東京薬科大学の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。