南山国際高等学校への合格体験記 中2から学習開始時の偏差値70(42806) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 70
- 受験直前の偏差値
- 71
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 中2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 中2夏
-
- 夏期講習受講
- 中2冬
-
- 冬期講習受講
- 中3春
-
- 春期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 3〜4時間 |
中2 | 4時間以上 | 3〜4時間 |
中3 | 3〜4時間 | 3〜4時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
受験勉強における準備が大変満足して
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
学校の授業の勉強だけではなく、授業のクラブ活動やそれ以外の課外活動にも参加しながら塾の予定もこなしながらストレスなく無理はない予定を立て、苦手な科目を補いながら計画的な受験勉強ができた事は受験において大変効果的だったと満足しています。 その他、家庭内でのサポートも大変重要な限りになることが思って体験することができました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
事前にいろいろな時間的な予定やクラブ活動等の予定も考え、負担を少なくする。計画作りをもう少しできれば良
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
いろいろな学校の説明や内容を入手する事は可能ではあったのですが、やはり学校そのものにおいていき、その学校の良さや自分に合っているかを確認することが、何よりも1番受験校や希望校選ぶのに役に立ったと思います。実際に子供たちが通う学校なので、パンフレットやインターネットからの情報だけではなく、実際に学校の説明に参加することによってやりよく学校の内容を感じ取ることができると思います。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
目標は少し高めに置き、その偏差値に向けて、努力をし、希望校へ合格することをゴールとしました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
充分頑張ったと思います。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 通塾していない |
中2 | 週3日 | 100,001円以上 |
中3 | 週3日 | 100,001円以上 |
塾を選んだ理由
一人一人の生徒に対して、とても充実したカリギュラんだから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
もともと偏差値自体にはあまり問題はなく、どちらかと言うと苦手な科目をもう少し自信をつけていくことが目的だったため、その目的に向けて少しずつ苦手な目が苦手でなくなり、成績が向上した事は何よりもメリットとなった。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
満足している
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・1日のスケジュールを一緒に作成した
1日のスケジュールについて一緒に話し合ったことについては大変効果があったと思います。本人の意向に沿い、家族がどのようにサポートできるかも考えながら、こちらサイドの押し付けだけでなく、子供自身の希望を加えながら無理のない1日の計画を設定できた事は大きな意味を持つことだと思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家庭の中では、子供たちが負担にならないような雰囲気づくりや、勉強をやりやすい状況を話し合い、環境づくりに気を配ることが何よりも大変だと思います。受験ということでとても神経質になっているところへ、家庭内で揉め事があったり、ストレスをかけないようにすることに家族が1番として心がけました。
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。