金城学院大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値53(44070) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 53
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 学習していない |
高2 | 通塾していない | 学習していない |
高3 | 1〜2時間 | 1時間以内 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
日本史
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
希望校だったから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
自分が何を学んでいきたいかをよく考えた。そして文系で人に関わることを学んでいきたいと思うようになった。希望の大学は、自宅から通えるところにあるという条件で調べ、決定していった。偏差値が全く気にならなかった訳では無いが、そこまで気にせずに、受験のために過去問を中心に取り組んでいった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
希望校をしっかりと決めること。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校からの情報
高校の進路情報は大変多くの情報があった。そこからいろいろな項目で検索していった。そして最も自分の学びたいものと合致する希望校を絞り込むことができた。その後、実際に通っている人の話を聞く機会もあって、そこで学びたい気持ちが高まっていった。それが受験勉強への強いモチベーションとなった。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
ちょうどその様になっていたから。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
よくやったと言えるよう、悔いを残さないようにやること。
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週5日以上 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
通学が便利
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
それまでは勉強のしかたがわからないと言っていたが、塾に通いだしてからは、どうやればいいかを身につけることがでたようだ。その結果模擬試験の結果などが段々と向上していった。そうしたことが本人の自信につながっていったようだ。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
そのままでいい。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
家庭では、リラックスして過ごせるように家族がそれぞれのことを行っていった。受験生だからといって特別あつかいをしなかった。そうしたことが、本人にも良い効果があったように思う。ただ、勉強に集中しやすいように、テレビ等の音の出るものは控えて、気は配って家族も生活を心がけた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
いつも通りの生活を心がけること。家庭での役割は受験生だからといって免除したりはせず、普段通りの生活リズムを崩さないように心がけていった。勉強は自分の部屋で集中して行える環境を整えることは大切だと思う。家族の協力の必要性も感じた。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。