中京大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値48(44407) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 48
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高2 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
高3 | 2〜3時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
第二志望の大学でしたし、先輩からの話を色々聞いていたため、良かったかなと思ってます。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
純でのレベルの高さに驚いたようで、負けたくないとの気持ちから、明らかに勉強時間が増えました。家では親が1日のスケジュールを子供と一緒に立て、実践していきました。その間、親は新聞を読んだり本を読んだりして、テレビはつけずに過ごしました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
周りのレベルにあまりプレッシャーにならず、自分を信じて頑張れと言いたいです。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
子供が教育関係に進みたいとの希望がありましたので、塾の講師に教師になりやすい大学のアドバイスは受けましたが、先輩で在校生にゼミの先生の情報や大学の雰囲気などを教えてもらって本人が納得したことが決めてになりました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
やっぱりチャレンジ校は自分を追い込むためにも少しレベルの高い大学を目指しました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
よく受験勉強頑張ったけど、あまりプレッシャーをかけ過ぎたかなと少し反省してます。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
高3 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
駅から近いのと、塾の名前(有名な塾)で選びました。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
通塾での変化は、塾の生徒のレベルの高い子が多く、プレッシャーを感じて、家での勉強時間が明らかに増えました。 あとは、塾の授業が終わってから自習室で自主的に勉強してくるようになりました。明らかに塾に通ってから意識が向上しました。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
周りにあまり影響されず、マイペースで頑張ってほしい。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・1日のスケジュールを一緒に作成した
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・親も一緒に問題を解くなどを実施した
子供が勉強している時は家族もテレビをつけず新聞を読んだり本を読んだりしてました。子供には親も協力していると分からせ一体になって取り組みました。 効果は、毎日のスケジュールをきちんとこなし、1日平日で5時間、休日で8時間勉強しました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
最初は、子供が勉強している間はラジオ聞いたりテレビ見たりしてましたが、やっぱり子供は気づきます。協力している、親も応援していると分からせ、あまりプレッシャーはかけ過ぎないように気をつけたいです。 また、勉強時間を意識し過ぎて睡眠時間が少なくなったのは反省すべきでした。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。