中央大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値60(44455) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 60
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
高3 | 1〜2時間 | 3〜4時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
国語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
志望校に合格できた
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
予備校に過去問(赤本)が過去10年間分以上保管してあって、各自で自由にコピーをすることが出来るので、受験職前期には徹底的に過去問対策を実施した。 自習室を完備していて、席の数もかなり余裕があるので、満席で使えないこともなく、静かな環境で勉強に取り組むことができた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分を信じで頑張る
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
北海道から首都圏への進学を希望していたので、高校1年生の頃から、機会を見つけて首都圏のオープンキャンパスに参加した。結果的に高校2年生の時にコロナのまん延によりオープンキャンパスが中止になったので、早期に参加して良かった。また、オープンキャンパスに参加したことで、大学の立地を知ることができたのでか、合格してから「こんなはずじゃなかった!」と言うことはなかった。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
現役合格したかった
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分を信じで頑張る
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週2日 | 10,001~20,000円 |
高3 | 週2日 | 10,001~20,000円 |
塾を選んだ理由
対面による集団授業を希望したから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
通塾は苦手教科の二科目に絞って受講することにした。入塾当初、チューターからの説明を受けて、偏差値に反映されるまで半年から1年係るとのアドバイスどおり、半年を過ぎた頃から模試の偏差値に成果が現れるようになった。 短期的に一喜一憂するのではなく、長期的に継続して頑張る事が大事。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分の力を信じで頑張る
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
子どもの生活リズムに合わせるように努力した。外出を控えるようにしたり、在宅中もテレビの音量を下げるなど、勉強に集中できるように配慮した。 通塾に際しては、極力マイカーでの送迎に努めて、勉強時間を確保出来るようにした。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子どもの体調管理のため、深夜に及ぶ勉強は控えさせていたが、子ども望めばもっと勉強されせてやれば良かったと思っている。 現役合格したいあまり、チャレンジ校の選定をしなかったが、ダメ元ででチャレンジ校を受験させれば良かったと後悔している。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。