名古屋大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値67(47826) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 67
- 受験直前の偏差値
- 68
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高2 | 通塾していない | 3〜4時間 |
高3 | 1〜2時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
本人の希望だったから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
希望の大学に合格のため、高校受験から本人が全て決めてきた まず、高校入試は、トップで合格。 高校での授業を大切にすれば、塾は必要ないと本人が決めて、常に学年10位以内にいた。 テストだけではなく、授業態度も大切にしていた。 勉強だけではなく、学校活動も真面目に人の分までやっていた。 人としても成長していたと思う。 本当に好きな事がやりたいという目的で大学を選んだ。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供を信じる
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
幅の広い過去のデーターを参考に最終決断をした。 好きな事ができる学校を選ぶ事。 大学では、今までの机上の勉強ではなく、専門的になる為、頭がいただけではついていけないので、偏差値だけではなく、自分で見て選ぶことがとても大切。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値-10以下 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値+10以上 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値-10以下 |
得意科目があったから
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供を信じる
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
塾を選んだ理由
豊富なデーターと授業スタイル
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
必要な科目だけを選んで授業が受けられる為、時間の無駄がなく自分の勉強スタイルが確立できた。 学校別ではなく、別の学校のレベルの同じ人と授業ができる 学校の模試と同じ河合塾模試だったので、料金は免除になったし、レベルを測るのに役立った
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供にあった塾を選ぶ
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
以前からリビング学習だったので、私も一緒に資格の勉強をしたり、本を読んだりして過した。 でも、テレビをつけていても、本人が集中している時は、全く気にならなかった。 学校生活は、友達付き合いやクラスの活動も積極的にやって仲間にも恵まれていた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
受験だからといって、親は体のケアをするだけで特に腫れ物に触るような態度はしないようにした。 音を立てないようにとか変に気を使うことはしなかった。 以前から、親子のコミュニケーションはとっていたので、何でも話してくれたし、家族で話し合った。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。