岐阜大学教育学部附属小中学校への合格体験記 小5から学習開始時の偏差値50(49136) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 50
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 20,001~30,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 小学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 岐阜大学教育学部附属小中学校 | A判定 | 合格 |
進学した学校
岐阜大学教育学部附属小中学校通塾期間
- 小5
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 小5冬
-
- 冬期講習受講
- 小6夏
-
- 夏期講習受講
- 小6冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
小4 | 通塾していない | 1〜2時間 |
小5 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
小6 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
国語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
合格したから良かった
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
周りの友達の子も勉強をする意識がある子が多く、自分の子供もやらなくてはいけないという環境に身を置くことが出来たので良かった。自発的に勉強をするということができるようになったのが良かったと思う。通わせる前は自分から勉強するといったことがなかったから
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
諦めないこと
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校からの情報
地元の学校の治安が悪く、将来に向けて勉強をする環境が整っていなかったのが現実であった。私立ならある程度まともな子が周りに多くいるので安心して通わせることができると思ったので通わせることにした。先生よりここの学校なら安心して勉強に取り組むことができると教えてもらった。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
志望校くらいしか近くになかった
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
小4 | 通塾していない | 通塾していない |
小5 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
小6 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
塾を選んだ理由
駅から近かったので
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
以前までは、家で勉強するといった行動がなかったが、塾に通わせることで絶対に勉強しなくてはいけないという環境を作り出せたので子供も勉強するクセを身につけることが出来たので本当に良かったと思う。家ではなかなか勉強ができていなかったのでよかった。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
自分も一緒に資格の勉強をすることで、子供の前で勉強をするようにしていた。そうすることで、親も勉強しているので勉強しなくてはいけないという認識を植え付けることが出来たと思う。自分にとっても勉強を、する時間を確保しやすくなったので良かった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家庭では一緒に勉強することで、孤独感を味合わせたくなかったのでいっしょに勉強するように心がけた。たまに、わからないところがあると聞いてくることがあったがわからない場合もあったが子供に対して勉強を教えてあげることでコミュニケーションをはかるいいきっかけにもなったと思うので良かった。
その他の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。