桜丘高等学校への合格体験記 中2から学習開始時の偏差値58(50231) プロ個別指導SeeD出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 58
- 受験直前の偏差値
- 67
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 50,001~100,000円
通塾期間
- 中2
-
- プロ個別指導SeeDに 入塾 (個別指導/完全個別指導)
- 中2春
-
- 春期講習受講
- 中2夏
-
- 夏期講習受講
- 中2冬
-
- 冬期講習受講
- 中3春
-
- 春期講習受講
- 中3夏
-
- 夏期講習受講
- 中3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 学習していない |
中2 | 1〜2時間 | 4時間以上 |
中3 | 3〜4時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
塾の授業料等は決して安くなかったが、結果的に志望校の志望校に合格することができた
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
子供が自発的に勉強できる環境を構築することを第一と考えた結果、子供は自発的に勉強をするようになった。その上で子供が苦手としていた数学を中心に勉強するようになり、その中で中学1年生レベルから復習することによって理解度がまし苦手科目の克服につながったと考えます
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
目的を明確にすることです
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
ママ友パパ友からの情報
私学の学費は公立に比べ高くなってしまうので、子供には効率に行って欲しかった。ただ高校は1つの通過点に過ぎず、最終的にどの大学に行くのか行けるのかをを考えて志望校を選びました。結果的に地域に受ける公立校で1番偏差値の高い高校に入学することができました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+10以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値+5以上 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
子供本人の希望によるものです
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
目的を明確に定めること
塾での学習
受験時に通っていた塾
ココがポイント
- 講師1人につき生徒2人までの個別指導!完全担任制できめ細かい授業を実施
- プロ社員講師による質の高い授業だからこそ着実に成績アップを目指せる
- 生徒一人ひとりにあった目標・カリキュラム設定と進捗管理で徹底的に学習サポート
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 通塾していない |
中2 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
中3 | 週3日 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
うちの子供には、個別指導が向いていると思ったから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
子供に競争心が芽生えたこと、それが大きかったと思います。また個別指導だったため、授業の流れを止めると言うことに対する遠慮もなく、自分が納得いくまで苦手な問題や科目に向き合えたのが大きかったと考えます。そもそも子供は中学1年生の時は偏差値は57位で普通の子供でした。意識を変えることで、子供に変化が生まれたと感じています。
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家から近い塾だけで選ぶのではなく、もう少し視野を広げて検討してみても良かったと思います
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・1日のスケジュールを一緒に作成した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
子供が勉強できる環境を整えれるを大切と考えた。そして子供が勉強する時間は、親も読書や勉強の時間に当てた。さらに子供が勉強している時間は、先に寝ると言うこともせず、時折勉強中の子供の様子を伺って、口頭によって励ましておりました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
あくまでも子供の自発性を大切にしていたので、親からは特に口を出すと言う事はしませんでした。塾の親子懇談等で現状を把握しておりましたのでことさら不安に感じた事はありません。定期的な励ましや子供が喜ぶような食事や本等でご褒美をあげていました。