埼玉県立浦和高等学校への合格体験記 中3から学習開始時の偏差値68(5326) あづま進学教室出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 68
- 受験直前の偏差値
- 72
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 中学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 埼玉県立浦和高等学校 | A判定 | 合格 |
2 | 川越東高等学校 | A判定 | 合格 |
3 | 埼玉県立大宮高等学校 | A判定 | 未受験 |
進学した学校
埼玉県立浦和高等学校通塾期間
- 中3
-
- あづま進学教室に 入塾 (集団指導)
- 中3夏
-
- 夏期講習受講
- 中3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 1時間以内 |
中2 | 通塾していない | 1時間以内 |
中3 | 3〜4時間 | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
志望校に無事に合格できたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
塾に入ると課題が膨大に出されるため、勉強せざるを得ない環境になった。元々の性格が、出されたものに対して、サボる、やらないという選択肢をもたない子供だったので、塾から課題を与えられ、提出を求められることは良かったと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし。うまく行ったと思う。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
子供自身の偏差値に合った学校が、県立浦和高校か大宮高校で、どちらにするか迷っていた。県立浦和高校は浪人が半分以上、大宮高校は現役進学に力を入れていたため親としても迷っていたが、子供自身が見学するとすぐに、感じ取った生の雰囲気から心を決めることができて集中できたから。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
最上位校を受験できる力が、元々あったから。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし。行くべき学校へ行かれて満足。
塾での学習
受験時に通っていた塾
ココがポイント
- 基礎的な知識や技能を身につけ受験成功の土台を築く
- 演習と解説で生徒一人ひとりの理解を深める
- 自分の弱点を「添削課題」で理解・克服して実力を伸ばす
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 通塾していない |
中2 | 通塾していない | 通塾していない |
中3 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
志望校に強いとの評判だったから。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
もともと学校の成績はよく、常に上位成績者だったのですが、埼玉県特有の模試である『北辰テスト』になると思ったような成績がでなかった。塾に通いはじめてからまあまあ近い時期の北辰テストで5教科合計が50点も伸びたのには、本当に驚いた。やはり、塾の力を借りるのも必要だと実感した。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・苦手科目の成績が向上した
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし。夏からでもきちんとカリキュラムをこなせば、県内県立高校であれば十分
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・親も一緒に問題を解くなどを実施した
受験勉強は孤独な戦いに陥りがちなので、家族が目の前で遊んでいては、やはりヤル気や気持ちにマイナスな効果を与えてしまうとおもう。それなので、子供の勉強机をリビングから見える場所に置き、親も子供と同じ方向を向いて応援していることが分かるような雰囲気を作った。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
我が家では、受験活動の開始時期や受験活動の期間を通して、うまく行ったのではないかとおもわれます。あまり早い時期から無理して始めることはなく、中学校最後の部活動で県大会まで出場することもできて、悔いの残らない形で受験活動のに入ることができたので、その後も最後まで走り抜けることができたのだと思います。