三重大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値57(57333) 河合塾出身
- 回答者
- 生徒
- 学習開始時の偏差値
- 57
- 受験直前の偏差値
- 59
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- わからない
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高3 | 1〜2時間 | 3〜4時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
共通テストであまりいい結果を残せず、諦めかけていたが、合格出来たから。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
塾の授業がないときも、自習室を利用して塾にしかない問題集や過去問に手をつけることで、苦手を克服したり、効率よく勉強したりすることができたから。また、友達と一緒に通って勉強する時間を決め、それが終わったら一緒に休憩したのもいいリフレッシュになった。家では自分1人で机に向かうが、周りに人がいることで刺激をもらった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
実際に大学に行ってみないと分からない雰囲気や、通学時間を実感できた。また、私はサークルや部活動にも重きを置いていたため、目で確かめることでどんなものがあるのかも感じることができた。もちろん親からのアドバイスや学校、塾からの情報も役に立ったが、1番は自分の目で確かめることだと思う。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
私立の大学を受ける時に、滑り止め、チャレンジ、実力相応と3つを受けるつもりだったから
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週3日 | わからない |
塾を選んだ理由
有名どころで駅からも近いから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
塾の先生からのおすすめの勉強法や、自習室で他の人が取り組んでいる方法を試して、時間配分や解き方を自分に合った方法で見つけることが出来たから。特に英語のリーディングの解き方は1年で大幅に変更した。自分が見つけた解き方で本番も取り組み、時間も余裕で見直しをする時間があった。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
特になし
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
受験前は体調を崩さないように、消化の良いものを食べるよう心がけたし、親も気を使ってくれた。また、毎日7時には起きて、朝4時間以上は勉強する癖をつけたことで、朝集中して取り組めるようになった。共通テストは朝からなので、毎日のルーティーンのおかげだと思っている。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家では机の周りなど、沢山の誘惑があるため、時間を決めて勉強するようにしていた。朝は集中できるが、昼過ぎから夕方にかけては集中力が持たなくなってくるため、場所を変えたり、友達と塾の自習室に行ったりしていた。行く途中も英単語や古文単語を電車の中で覚えるようにしていた。
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塾の口コミ
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- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。