東京理科大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値62(57396) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 62
- 受験直前の偏差値
- 63
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 10,001~20,000円
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高3 | 2〜3時間 | 3〜4時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
生物
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
高望みをした希望校には合格できなかったけれど、満足な大学に合格できたから。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
人にもよりますが、部活動などは、途中で投げ出さず、最後まで(引退するまで)やり通してこそ、次のことに集中して取り組めると思うからです。事実私の子どもは受験について本格的に考えて出したのは高校3年生の夏前からでした。そのため、そこから塾に通うようになりました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
学校での生活も大切にしよう
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
部活動にやってくる先輩からのアドバイス(本音の聞けるもの)が選択する時の大きな参考となっていたようです。そこから憧れを抱いて希望校を決めて、前に向いていっていたようです。そのため、オープンキャンパス等にはあまり参加ができなかったようではありました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
チャレンジはチャレンジですから。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
これで良かったよね
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週2日 | 10,001~20,000円 |
塾を選んだ理由
友達が良いと言っていたから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
時期も時期でしたので(高校3年生の夏から通い始めた)、塾に通ったからかどうかと言われれば微妙ではありますが、勉強に向かっている時の姿勢は真剣さが高まっていました。また、分からないところを丁寧に教えていただいていたようなので、分からないことが減り(自己内で問題が解決し)、それもやる気の高揚につながっていたように感じました。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
良いところに通えてよかったね
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
受験の問題などは父親にも母親にも難しすぎるので、何のアドバイスもすることはできませんでした。そのため、塾への送り迎えや家庭内での環境づくりぐらいしか取り組みといってもできることはありませんでした。それでも、テレビの時間を気をつけただけでも子供からは感謝されました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
その場に戻ったとしても、大学受験の試験問題は一緒に考えることはできないと思います。そのため、テレビ視聴の時間を考える以外にも、「どんなことがサポートになるか」について本人に尋ねてみてもよかったのかなあとは思います。とかく本人はイライラしがちにもなるので、リラックス効果のあることを実践してみるのも良かったもしれないですね。
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塾の口コミ
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- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。