金沢大学への合格体験記 小1から学習開始時の偏差値50(ず) 日の出塾出身
- ニックネーム
- ず
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 50
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 30,001~40,000円
通塾期間
- 高1
-
- 日の出塾 に転塾 ( グループ指導(4~10名未満)/完全個別指導(1対1) )
- 高1
-
- 東進ハイスクール/東進衛星予備校 に入塾 ( 映像授業 )
- 高1夏
-
- 夏期講習受講
- 高1冬
-
- 冬期講習受講
- 高2春
-
- 春期講習受講
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
高2 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
高3 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
志望校に合格できたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・受験勉強だけでなく、学校活動も大切にしたこと
とにかく学校での成績や模試が悪かったので、学校行事で現実逃避して自己肯定感を上げていた感じ。前の塾では悪い成績ばかりクローズアップされて罵られていたが、新たに通い始めたこの塾は、細かく成績のことは指摘されなかった様子。それに関しては良し悪しあると思うが、結果が出たということは良かったのだと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
最初の塾選びは本人に任せすぎないほうが良い
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
地元の国立大学に進みたかったので、レベルというよりも、ちょっとがんばって身の丈にあった学校に行こう、という何時だった。大学で学ぶことはそう大きく変わらないと思うので、地元の国立大学に進学することを考え、近所の先輩に相談していた模様。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値-5以下 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-10以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
そもそも第一志望も滑り止めがいらないくらいの余裕を持って受けたかったので、滑り止めという感覚では大学は受験していない。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
最初に選んだ東進は失敗だっと。
塾での学習
受験時に通っていた塾
ココがポイント
- 生徒一人ひとりに目が行き届く1クラス6人までの少人数授業
- 専任講師が制作した習熟度別オリジナルテキスト
- 自習室のみ利用できる「自主学習コース」を用意
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
高2 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
高3 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
知り合いの紹介で。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
前に通っていた東進が本当に合っていなかった。対面式の塾というだけで安心感が増し、学習への意欲につながった様子。対面なので、分からなかったらすぐに聞けるし、一つの解決法だけではなくて、一つの問題に対して多方面からのアプローチを教えてくれた。
通塾することで変化したこと
・その他
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
はい
以前通っていた塾 | 東進ハイスクール/東進衛星予備校 |
---|
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
初めの塾選び、東進は失敗だった。あのとき、本人に任せずに一緒に塾選びをすればよかった。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
あまり家では勉強をしていなかったので、ご飯を食べて風呂に入って寝る、風邪をひかないように家族で気をつける、などの環境を整えた程度。あとは塾への送り迎え。それほど遠くはなかったが、事故に遭うリスクを少しでも減らそうと思った。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
家での活動はほとんどしていない。食べたら食べっぱなし、布団は敷きっぱなし、という見ていてイライラする生活態度だったが、受験が終わるまで、とりあえず共通テストが終わるまでは、と我慢した。とりあえず、翌日に遅れないように登校できるよう、最低限のことをしていた感じ。