大阪大学への合格体験記 高卒生から学習開始時の偏差値65(8168) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 65
- 受験直前の偏差値
- 68
- 学習時間
- 通塾していない
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
-
- 高卒生
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高2 | 通塾していない | 2〜3時間 |
高3 | 通塾していない | 2〜3時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
第一志望の大学に合格することができました。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
子供の生活に合わせルーティンを守るよう支援を行った。 朝食、弁当、夕食等栄養面を考えた生活支援。 勉強に専念できるよう、勉強以外のことで子供に心配をかけさせることのないよう務めました。 すべては子供のペースに合わせた支援を行いました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
信頼できる塾を選択したらあとは子供とともに戦うだけです。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
子供自身は最初は何となく志望校を決めたのだとは思いますが、受験勉強中、大学で勉強したいことが具体的に、明確になってきたのだと思います。 志望校が決まれば、歴史、伝統のある塾の合格に向けたノウハウが大いに参考になったと思います。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
模試の結果も良かったので特にレベル分けをする必要も無かった
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供を信じること。
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 通塾していない | 通塾していない |
塾を選んだ理由
歴史と伝統および素晴らしいノウハウ
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
現役中は通塾はしていませんでした。 自身の判断、実力で合格できると思っていたのかも知れません。 個人では入試対策は十分にできないと痛感したと思います。 歴史と伝統、ノウハウも高いプロの塾を利用することで気持ちも変わったと思います。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
現役時代に塾に行っておけば良かったね。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
子供のルーティン、ペースを乱さないようにとにかく注意しました。 あと勉強に専念できるよう、勉強以外のことで心配をかけることはしませんでした。 朝食、弁当、夕食も栄養面を考え、体調面の管理を徹底しました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
現役中は受験勉強だけでなく、高校生としての学校生活も大切にするよう指導しました。それが現役での合格に結びつかなかったのかも知れません。 しかしある程度実力のある子供の場合は、受験のノウハウは等を得るためプロの指導を受けるのは必要だと思います。
その他の受験体験記
大阪大学の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。