関西大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値53(8751) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 53
- 受験直前の偏差値
- 58
- 学習時間
- 一日4時間以上
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3春
-
- 春期講習受講
- 高3夏
-
- 夏期講習受講
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高3 | 4時間以上 | 学習していない |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
日本史
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
第一志望は残念だった。しかし、ご縁のあった大学に進学し、真面目に頑張っているので良かったと思う。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
受験する大学の赤本は全て取り組んで、対策をした。塾の教材を何回も繰り返して取り組んだ。毎日、自習室に通った。一緒に頑張る仲間たちがいたのは良かったと思う。ワクチンを接種してインフルエンザ対策をした。睡眠不足に気をつけて、体調を崩さないように気をつけた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
不安が大きいけど、大丈夫。体調第一に頑張る事が大事。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
友達や先輩からの情報
受験する大学学部によって、受験科目がちがう事、対策も異なる事、通学経路、通学時間、点数補正、補欠合格、入学金などの納入時期、併願大学の決め方、対策など、参考になることをたくさん教えてもらった。友人は、ライバルではなくて、一緒に頑張る仲間たちでした。本当にお互いに支え合う事ができたと思う。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
塾の先生のアドバイス
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
模試の判定はほぼ参考になる。模試の判定DEから合格は無理。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週5日以上 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
高校の近く。友人が誘ってくれた
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
苦手と思っていた科目も、テクニックを身につける事で得点につながる事を教わった。大学によって出題傾向がある事、配点を知った。これは、自分ひとりで勉強していたら、気づく事ができなかったかもしれないと思う。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
毎日、自習室に行って頑張ったこと、毎日の授業を大切にして、小テストめた真面目に取り組むことが、確実にチカラになった。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
栄養を考えた食事を用意した。毎日、R1ヨーグルトを飲んで、免疫力が低下しないように気をつけた。家族全員がインフルエンザワクチンを接種して、インフルエンザ対策をした。睡眠不足にならないように気をつけた。塾まで送迎をした。体調を崩さず、予定通り、受験できた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
勉強は学校と塾で頑張っていたので、家庭では、ゆっくりリラックスできるようにしていた。栄養を考えた食事を食べて、インフルエンザワクチンを家族全員で接種して、インフルエンザ対策をした。家族全員で、R1ヨーグルトを飲んで、免疫力が低下しないように気をつけた。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。