名古屋市立向陽高等学校への合格体験記 中1から学習開始時の偏差値55(9272) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 55
- 受験直前の偏差値
- 60
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,001~50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 中学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 名古屋市立向陽高等学校 | B判定 | 合格 |
2 | 愛知県立明和高等学校 | C判定 | 未受験 |
3 | 愛知県立名古屋南高等学校 | B判定 | 未受験 |
進学した学校
名古屋市立向陽高等学校学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
中2 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
中3 | 3〜4時間 | 3〜4時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
国語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
合格したので
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
部活動との両立が一番本人と話し合ったところでありました。毎日の生活にプラスしてすべてをこなすのが大変だと思いますが、学生らしく食べること寝ることも身体をつくるあめには大切なことなので、精神的にも思春期で大変ですが良い友人に恵まれて楽しい学校生活かなしてほしいです。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
一年生からもう少し取り組んでおけば
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
推薦入試にもチャレンジをしたいと思っていたので、学校との情報はもちろんですが、塾からの情報の方が数が多いので、何に注力するべきか本人だけでなく親のわたし達にも共有してもらえましたし、この先にどうするのかが見えていました。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
あまり無理をしない
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
行くのは自分なので
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 通塾していない | 20,001~30,000円 |
中2 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
中3 | 週3日 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
合格実績
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
得意な科目は、自分から自ら進んで課題や苦手など克服するように取り組むことができていましたが、、苦手な科目は積極的に先生に聞きに行ったり、自分から自ら友人に尋ねたり、お互いに教えあったりすることで、勉強への意欲がわき、前向きにトライすることができました。
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
はい
以前通っていた塾 | 秀英予備校 |
---|
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
時間がない中で、予州復讐と膨大な量が出ますが、前向きに取り組むことです
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
毎日同じことを繰り返すと言うところで、夕食の後は寝るまで必ず机に向かっていましたし。土日は朝から晩までできなかったところの復讐や日ごろ苦手としている所の克服につなげられるように努力をしていました。また静かな環境を作ると言うところも家族で取り組んでいました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
どうしても睡眠不足になりがちですが、睡眠の質向上のためできることをサポートしてきました。またなるべく夜更かしをしないなど本人に朝方に切り替えるように促しました。朝食は必ず食べ学校生活もより良いものになるよう受験生だからできないことがないようにしました。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。