千葉大学への合格体験記 高2から学習開始時の偏差値53(9374) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 53
- 受験直前の偏差値
- 58
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,001~50,000円
通塾期間
- 高2
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 学習していない |
高2 | 1〜2時間 | 2〜3時間 |
高3 | 1〜2時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
希望した大学すべて合格したので
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
自宅と学校の中間遅延に塾があったことで、下校中に塾の自習室で勉強をするという習慣が身についた。そのため休日も塾に出かけて集中的に自習をしたことで、自分で頑張ることができ、友達とも一緒にわからないことを教えあったりしてよかったと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
大学受験の理系の場合は高校2年生の冬から数学三を始めるという定説通りに塾の通わせたことはとても良かった。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
塾では生徒1人1人に対してチューターが割り当てられて子供はチューターといろいろと話しをすることができた。チューターの受験経験なども参考になった。 また、塾での模擬試験の結果として報告される合格可能性がとても役にたった。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
受験の通停であり、自分の偏差値通りではなくレベルの高いところをめざすべき。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
模試の偏差値が適時に提示される塾を選択したことは良かった。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
高3 | 週3日 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
自宅と学校の中間にあったことで、帰宅中に通うことができると思った。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
塾に通わないで自宅で勉強していたときは、テレビやゲームなどの誘惑があったが、塾での授業や自習室での勉強を行うという習慣がついてきたことで、学力が向上してきたとお思います。ひとえに塾に通うという習慣が自分で勉強をすすんでするということを可能にさせたと思います。
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・苦手科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
塾に通うという習慣は個人の考えによるものであったが子供にあっていてよかった。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
どうしても夜型に近くなっていく子供の習慣を朝方にするように家族もできるだけ朝方にするように変更していきました。そのためには親も夜は早く寝て朝は早く起きるようにして子供の習慣にあわせるようにしていきました。これによりこどもが朝方になってきたと思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
子供だけでも親だけでもなく、両方で考えて、話し合ってどうすべきであるかを一緒に考えて生活のリズムを変えていくことが必要であると思います。その時に親も子も無理をする必要はなくできるところで協力するようにできればよいと思います。
その他の受験体験記
千葉大学の受験体験記
塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。