浦和学院高等学校への合格体験記 小4から学習開始時の偏差値50(9947) 国大セミナー出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 50
- 受験直前の偏差値
- 60
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 中学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 浦和学院高等学校 | A判定 | 合格 |
2 | 千葉県立流山おおたかの森高等学校 | その他 | 不合格 |
3 | ルーテル学院高等学校 | その他 | 不合格 |
進学した学校
浦和学院高等学校通塾期間
- 小4
-
- 国大セミナーに 入塾 (集団指導(少人数)/個別指導)
- 中1夏
-
- 夏期講習受講
- 中1冬
-
- 冬期講習受講
- 中2夏
-
- 夏期講習受講
- 中2冬
-
- 冬期講習受講
- 中3夏
-
- 夏期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 1時間以内 | 1時間以内 |
中2 | 1〜2時間 | 1時間以内 |
中3 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
第一希望だった
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
親は何もしてません。 本人の意識変化です。危機意識を持った時から授業態度や課題に神経に取り組み始めました。親は邪魔しないようにしておりました。口うるさく言わず、本人の自主性に任せました。相談を持ちかけられた時は向き合ってきました
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
意識しすぎない。リラックス
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
話やネット、本の情報だけでは得られないことが、学校に行くことで肌で感じて理解できました。先生たちと話しが出来たことも大きなプラスでした。成績表を持って行くことで具体的なアドバイスを頂けたこともよかったです。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+10以上 |
現状に満足せず恒常心を持ってほしい
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分で見て聞いて確かめることが大事
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 週3日 | 10,001~20,000円 |
中2 | 週2日 | 20,001~30,000円 |
中3 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
小人数制で近所だった
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
苦手科目の克服に塾のカリキュラムが大きく役に立って、本人の自信に繋がっていきました。学校の授業より楽しく取り組めたようで真面目に取り組んでました。受験を意識する環境が出来、学校での取り組みも変わってきました。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分が通いやすいかを大事にしてほしい
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
静かにするとか夜食の用意とか特別扱いしないようにしてました。高校受験はほぼ必須の環境なので、受験は大変だけど特別ではないと思います。日常をキープしつつその中で自主的に取り組んでいる時は話しかけないように気をつけてました
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
中学1年生からの意識が足りなかったので、部活や生徒会などんp活動に積極的に取り組みむようにしたいです。宿題や提出物もきちんとして通知票の評価も意識してほしいと思います。コロナ禍で中学3年生に上がるタイミングで休校になりメンタル的に悪影響がありました。コロナ禍でなければ、違う受験生活だったと思います。
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塾の口コミ
国大セミナー の口コミ
- 回答者
- 生徒
- 回答時期
- 2021年
アクセス・周りの環境
駅から徒歩2分圏内であるため電車通学も可能である。しかし近隣の家に住む子がほとんどだったため自転車通勤が主たる交通手段であった。周りには強豪の塾が多くあり、生徒間ではある種派閥のようなものもあった。国大セミナーは回ると比べると有名新学校に排出するというよりは、中学の勉強についていくための授業が主なため少し劣っているように感じる。