“算数偏差値50”でも吉祥女子中学校に合格!塾・時間・情報を味方につけた合格戦略|親たちの中学受験体験記 Vol.11

第一志望・吉祥女子中学校の合格をつかんだ神谷さん親子。志望校対策クラスのない塾でも、先生への相談と家庭での工夫で、自分たちに合った対策を効率よく積み重ねてきました。苦手科目への向き合い方、SNS情報の取り入れ方、そしてすべてを支えた“受験ノート”の存在とは? 母娘が二人三脚で歩んだ中学受験の記録を追います。

編集部
塾選ジャーナル編集部
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【保護者プロフィール】
お名前 | 神谷 桃子(仮名) |
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お住まい | 東京都 |
年齢 | 47歳 |
職業 | 個人事業主 |
性格 | 行動力があり、パワフル。明るく元気、理論的に考えるが落ち込みやすい一面もある。 |
家族構成 | 夫、長女(中学2年生) |
【中学受験を行った子どものプロフィール】
子どもの名前 | 神谷 美桜(仮名) |
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性別 | 女子 |
現在通っている学校名 | 吉祥女子中学校 |
現在の学年 | 中学2年生 |
受験期に通っていた塾 | 早稲田アカデミー |
得意科目 | 国語 |
苦手科目 | 算数 |
性格 | 周りの状況を冷静に観察する。分析や思考を深める時間が好き。しっかり自己主張するサバサバした性格。 |
偏差値 | 学習開始時期の偏差値60 受験時期の偏差値62(四谷大塚) |
受験結果 | 吉祥女子中学校 合格(第一志望) 開智所沢中等教育学校 合格 淑徳与野中学校 合格 |
「協力し合って乗り越えよう」二人三脚で始めた中学受験
―最初に、中学受験を考え始めた理由・きっかけを聞かせてください。
実は私自身、中学受験で失敗した経験があるんです。そのため、高校受験・大学受験の準備に追われて、やりたいことが思うようにできず苦労した記憶が残っていて…。中学受験に合格した姉が楽しそうに学校生活を送っているのを見て、子ども心に「いいなぁ」という気持ちがありました。
周囲の話を聞いていると、中高一貫校に進学して中学・高校の6年間で自分のやりたいことに集中できるのが、中学受験の大きな利点だと。そこで、娘の中学受験を改めて意識しました。
―中学受験をすると明確に決めたのはいつ頃でしたか?
娘が小学3年生にあがったばかりの頃に家族会議を開いて、「受験というのは、『どこで頑張るか』という話。人生の道は一つではなくて自分の選択で分かれていくものだけど、中学受験をして中高6年間を過ごすのと高校受験をするのだとどちらがいいかな?」と、娘の意思を一つひとつ確認したうえで中学受験をすることを決めました。
―ご自身の経験も踏まえ、最終的には娘さんのご意向を大切にされていたのですね。
できるだけ「自分で“素敵だな”と感じた学校に自分の意志で通っている」と思ってほしかったので、塾選びでも学校選びでも、意識的に娘の意見を聞くようにはしていました。親子の対話はすごく多かったと思います。
受験に関することに限らず、娘は小さな頃から自己主張をしっかりする子で、何かを決めさせるのに苦労することはありませんでした。本音をパッと言うので、「そういう風に考えているんだね。じゃあこうしようか」というような会話を幼い頃からしてきていたためか、受験に関しても親子で揉めたことは一度もなかったです。
当時、よく口にしていたのは、「協力していこうよ」という言葉。「私たちが足並みをそろえて一緒に頑張らないと、このヤマは越えられないよね」「お互いに思うところがあったとしても、今私たちに揉めている時間はないよね」と娘とよく笑いながら話していました。二人三脚で協力し合う姿勢が持てたことは、すごく良かったと思います。
志望校選びは偏差値よりも「6年間をどう過ごすか?」を優先
―吉祥女子中学に決める前、どのような点を重視して志望校を選んでいきましたか。
学校説明会には9校ほど参加しました。
重視していたのは、生徒さんが自然体で伸び伸びと過ごしているか。毎日通うことになるので、自分らしく自然体でいられる学校、子どもの個性をそのまま伸ばしてくれる学校がいいなと思っていました。
中高6年間をどのように過ごすかを考えたとき、自分のやりたいことを見つける時間、友達との関係に悩みながらもゆっくり人間関係を育んでいくような時間を大切にしたかったんです。中学受験をすることにした理由は大学受験のためではないので、「大学受験に一直線!」という雰囲気の学校は、うちの場合はちょっと違うなと。
学習面よりも、実際に通う生徒さんの雰囲気や表情が豊かな学校、独創的な授業展開をしているような面白い特色のある学校に惹かれましたね。
―現地に足を運ぶ学校見学では、どんな気づきがありましたか?
学校見学でいろいろな学校を見て回る中で、例えば生徒さんが全員ピンと姿勢よく座っていたりすると、「先生から何か言われてるんだろうな」「自分なら疲れちゃうな」と感じたんです。
―併願校を選ぶにあたって、「もっと早くたくさんの学校をみれば良かった」と思ったそうですね。
ええ。すごく校風が気に入っていた併願校候補校の過去問を解いたら、全く歯が立たなくて。小学6年生の秋、併願校を決める段階だと時期的に対策が難しいのであきらめました。
たくさんの学校を見てきたつもりでしたが、過去問との相性で候補から外すことになったケースは想定していませんでした。併願校といっても、第一志望に合格できなければ通うことになる学校です。妥協はしたくなかったので、候補数は多めに持っておくに越したことはないという気付きになりましたね。
―併願校選びでは、どのような基準を持っていましたか?
校風や交通の便、大学受験一色になっていないか、生徒が伸び伸びしているか、授業内容がユニークか…志望校を探すときと基準は同じです。
塾の講師からは、「偏差値をそこまで下げなくても」と言われることもありましたが、万が一のことを考えると「毎日通う学校」として妥協がないことが、学校選びの譲れないポイントでした。
―第一志望校も併願校も同等に、娘さんが毎日通う場所として大切に選ばれたのですね。
第一志望の吉祥女子中学は芸術系に力を入れていて、美大に進学する子が多い学校です。娘が絵を描いたり文章を書いたりするのがすごく好きだったので、早い段階から「吉祥女子中学に行けたらいいね」という話は出ていました。
学校説明会に行ったとき、後ろの方に座っていた生徒さんが姿勢を崩してあくびをしていたり、忘れ物を届けに来た保護者の方と生徒さんが自由に話していたり…。生徒さんがみんなリラックスして過ごしている雰囲気に好感が持てたと同時に、マイペースな娘に合っていそうと感じたんです。
塾を最大限活用しながら、時間管理や情報収集は母がリード。わが家流・合格戦略
―通塾開始は、小学3年生の2月から。塾はどのように決められましたか?
サピックスや日能研、早稲田アカデミーなど、入塾テストをいくつか受けてみたのですが、サポートの充実度や娘の成績の立ち位置が塾によって全然違ったんですよね。コミュニケーションが少ない塾だとサポートに物足りなさを感じてしまいますし、上位クラスに入るような塾だと満足して子どもの伸びしろが、なくなってしまいそうで迷いました。
最終的には娘の意見を聞いて、小学低学年の2年間、英語の多読クラスに通っていた塾にそのまま、国算理社の4科目のクラスに通うことにしたんです。私たち親子には、塾の雰囲気が合っていたんですよね。
不安なことがあれば何でも本音で相談することができましたし、授業のない日にマンツーマンで個別指導の時間を作っていただくなど、とても丁寧にフォローをしていただきました。
―娘さんの受験をサポートするうえで、特に何に苦労されましたか?
時間のやりくりですね。時間の管理は私の役割でしたので、限られた時間をどのように使うか…そればかり考えていました。特に、娘が苦手とする算数の基礎力をつけるためにはとても時間が足りなかったんです。
得意科目だった国語は家ではほとんど勉強せず、社会は移動時間に私が作った一問一答の単語帳を見て、学校に行く前に算数を2~3問解く。とにかく算数を勉強する時間をどう確保するか、頭を悩ませました。
第一志望にしていた吉祥女子中学の対策クラスはない塾でしたが、講師に頼んで志望校の出題傾向に沿って復習すべきポイントや取り組むべきことを教えていただき、なんとか時間を捻出することができました。各教科の講師の方たちも総力戦でご協力くださって。先生方のあたたかいご指導があったので、私自身、孤独を感じることもなく、娘がオーバーワークでつぶれてしまうこともなく走り切ることができたのだと思います。
―具体的な勉強法などの方法論は、塾の先生以外にどんな情報ソースを活用していましたか?
Xやインターネット検索からヒントを得たら、「こういう意見もあるけど、どう思う?」と娘と会話をし、“いいとこ取り”というか、自分たちに合う部分を精査しながらオリジナルの勉強法を考える…というやり方をしていました。
―娘さんが、受験勉強に対して後ろ向きになることはありませんでしたか。
疲れてテンションが落ちることはありましたが、そんなときは「なんのために、今これを頑張ってるんだっけ?」「6年間、好きなことをするためだもんね」という目的に立ち返るようにしていました。娘も最後まで気持ちが折れることなく、よく頑張ったなと思います。
―では、大きなスランプなどもなく?
得意にしていた国語が6年生の後期に一度ガクっと下がったことがありました。幸い塾の講師からの的確なアドバイスですぐに立て直すことができたのですが、そのときは正直ヒヤヒヤしましたね。タイミング的に、入試本番前に弱点を見つけて対策することができたので、今は結果オーライだったと思っています。
苦手の算数は伸びた部分もありますが、最後まで克服はできず入試前の模試でも偏差値50くらい。吉祥女子中学には届かない数値でしたが、ほかの3教科で勝負しようという腹積もりでしたし、「もう後は全力でぶつかっていくしかないね」と。やるだけのことは全部やったと思っていたので、悲観する気持ちはありませんでした。
―合格に結びついたポイントは、どんなところにあると思いますか?
いくつかありますが、志望校を絞ってそこに向かって無駄を排除する動きがとれたこと。苦手から逃げずに最後まであきらめなかったこと。この2点でしょうか。
ずっと時間をかけてきた甲斐があったのか、入試前の1か月で得意ではなかった理科の理解度がぐんと伸びたんです。中学受験の先輩たちから、「最後まであきらめないで」という言葉をよく耳にしていましたが、こういうことかと身をもって体験しました。
―やるだけのことは全部やったという思いで、迎えられた入試本番。どのような受験日程だったのでしょうか?
併願となる2校の受験を1月中に終えて、合格をいただいてから本命の吉祥女子を受験するという入試スケジュールでした。
―入試本番の日は、どのように送り出されましたか?
いつも通りです。私も娘も通学する娘を送り出すときのように本当にいつも通りでした。
入試当日は、駅の待合室でココアを一緒に飲んでから受験会場に向かおうと決めていました。バタバタと家を出て落ち着かない気持ちのまま入試を迎えるよりも、あえて一度立ち止まろう、娘と一息つく時間をとりたいと思ったんです。
初日の朝、駅の待合室でココアを飲んだ娘が発した言葉は、「今日は味が薄い」でした。いつものように私にツッコミを入れる娘を見て「ああ、これだけ落ち着いているなら大丈夫そうだな」と思えたんです。別の日は、「ココア入れるの上達したね」と冗談を交わしたり、「おやつ食べてね」とだけ言って送り出したり。
頑張っていることはわかっているから、「頑張って」と言うよりも、他愛もないしょうもない話をする方が、私たちらしく自然なことだと感じていました。
特別なことを言ったのは、吉祥女子中学の入試当日だけです。学校説明会で仲良くなった先生がいらっしゃったので、「この校舎のどこかに、あなたと仲良しの先生がいてきっと心の中で応援してくれているよ」と伝えました。
受験で大変なことはたくさんあったけれど、周囲には励ましてくれる人、助けてくれる人がたくさんいました。試験本番前にそういった人たちと交流を持てたことは、大事な場面で安心するための種まきだったんだなあと思いましたね。
―人のやさしさを感じながら受験を乗り越えた経験は、娘さんにも大きな財産になったことと思います。
「助けてくれる人はどこにでも絶対いる」というのは、これからもずっと娘の心に留めていてほしいことですね。「助けて」「しんどい」「困ってる」そういったSOSは、「自分から発信することが大事、あなたは一人じゃないのだから」ということは幼少期から伝えてきたんです。中学受験を通して、この言葉に実感を持てる経験になったのであれば嬉しいですね。
受験対策の記録が中学校生活の礎に。6冊におよぶ中学受験ノート
―お話を伺ってご自身でいろいろと試行錯誤しながら、受験に取り組まれていったのだと感じました。受験時期にお母様が心掛けていたこと、モットーにしていたことなどはありますか?
受験にかかわらずにはなりますが、私のモットーとして「人がやっていないことをやろう」という言葉があるんです。娘の中学受験に関しても、「ここまでやっている人はいないよね」というところまでやり切れば悔いが残らないだろう、と娘とよく話していました。
もちろん、吉祥女子中学に合格しなかったとしても、中学高校時代を大切にできるよう併願校を選んではいましたが、それ以前に力を出し切った結果であれば、納得感が持てるはずだと考えていたんです。
―受験期間を振り返って、どんなことを思い出しますか?
今、私の手元には受験の記録を記したノートが6冊あります。塾の講師の言葉やXで見かけた参考になるアドバイス、日々のちょっとしたことや気づいたことは全部メモ。娘の様子も書いていましたし、相談した塾とのやりとり、自分がやるべきTODOも記録していました。
いわゆる“何でも帳”として書き留めていたのですが、今そのノートを見返すと、自分たちの成長や軌跡を確認できて面白いですよ。娘もたまに懐かしそうに見返しています。
―今も娘さんと受験を振り返って会話することもあるのですね。
受験時期、候補校の説明会や取り組みといった最新情報が通知で届くサイト『スクマ!』に登録していたのですが、今でも解除せず候補校の様子をチェックしています。そして、「あの学校も頑張ってるねえ」と娘に情報共有しているんです。
もちろん、今の状況に充分満足しています。でも、仮に違う道に進んだとしても、どこに行ったとしてもあなたは輝けるんだよということを知っていてほしくて。人生には常に広い選択肢があることを、ずっと忘れないでほしいなという思いで続けています。
─中学受験を終えて、娘さんの成長を感じることはありますか?
私は、中学受験という大きな山場を越えたときが、親離れ・子離れのタイミングだと捉えていました。なので小学6年生の頃、娘に話をしたんです。
「これまでずっと一緒にやってきたから、もう勉強の仕方も困ったときにどうすればいいかもわかってるよね。だから、お母さんがそばにいて手伝えるのはここまでなんだ。中学生になってからも、何かあればサポートはするけど、自分でやっていけるから、お母さんがいなくても大丈夫なんだよ」って。
中学生になった娘は、自分でスケジュールを立てて、手帳にTODOを書き出して、学校で困ったことがあれば先生をつかまえて…今はすべて一人でこなしています。私が口を出すことは一切ありません。
─受験のサポートをしながらも、お母様の目はすでに中学入学後のことも見据えていたのですね。
中学受験は、ゴールではなくスタートだと思うんです。娘は中学2年生になりましたが、どちらかというと内向的だった小学生のときよりもずっと活発になって、部活動の掛け持ちをしながら学校生活を心から楽しんでいます。これから彼女がどんな未来を描くのか、とても楽しみです。
取材後記
印象的だったのは、中学受験をスタートとして、常に入学後の未来を見つめて受験に取り組む姿勢、そして娘さんとの対話の中で語られた母のやさしさ・思いの込められた素敵な言葉の数々です。お母様がこれまでのご経験で学ばれてきた「生きていく知恵・強さ」が、受験という経験を通して娘さんにバトンとして渡されたのだと、胸が熱くなりました。母娘の強い絆をもって、前向きに受験に挑んだからこそつかんだ合格。とてもハートフルな取材でした。
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