灘中不合格でも諦めない!愛光中学合格を辞退し、公立から灘高へ再挑戦|親たちの中学受験体験記 Vol.13

灘中にあと一歩届かなかった——。合格した西の御三家の一角・愛光中学を辞退してまで、あえて地元公立中学からの灘高リベンジを選んだご家族がいます。「諦めない」という強い意志のもと歩みを進めるその姿には、多くの受験生と保護者に勇気を与えてくれる力がありました。中学受験で難関校を目指す方は必読です。

編集部
塾選ジャーナル編集部
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【保護者プロフィール】
お名前 | 遠藤 唯(仮名) |
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お住まい | 大阪府 |
年齢 | 45歳 |
職業 | 会社員 |
性格 | 穏やかで前向き。現実的な一面もある。 |
家族構成 | 夫、長男(高校2年生)、次男(中学2年生) |
【中学受験を行った子どものプロフィール】
子どもの名前 | 遠藤 卓弥(仮名) |
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性別 | 男子 |
現在通っている学校名 | 大阪府内の公立中学校 |
現在の学年 | 中学2年生 |
受験時にしていた習い事 | 浜学園 |
得意科目 | 国語 |
苦手科目 | 社会(暗記がやや苦手) |
性格 | すぐに友人ができる、明るいリーダータイプ |
通塾開始時の偏差値 | 60前後 |
受験本番直前の偏差値 | 65前後 |
受験結果 | 愛光中学校 合格 灘中学校 不合格 |
高校生クイズと医学部進学を目指し、第一志望は灘中一択
―次男様が灘中受験を目指したきっかけは、TV番組の『高校生クイズ』とのこと。非常にユニークな動機ですね。
『高校生クイズ』は、家族みんなが大好きでずっと観ていたTV番組なんです。出場している灘高の生徒さんがとてもかっこよく見えたようで、第一志望は灘しか考えていませんでした。
―中学受験は、幼少期から考えていらっしゃったのですか?
長男・次男ともに医学部受験を考えていたため、私立への進学はもともと視野に入れていました。受験のタイミングは高校でも中学でもどちらもよかったのですが、周りに中学受験をするご家庭が多かったこともあり、自然な流れで決めましたね。次男は、同じく灘中を目指した長男の中学受験をそばで見ていたので「自分もするもの」と思っていたようです。
―次男様が受験されたのは中学受験の最難関・灘中学と、西の御三家・愛光中学の2校のみとのことですが、他校も検討はされたのでしょうか?
灘中は本当に合格できるかギリギリのラインだったので、私は受かる可能性が高い他校の受験も勧めたのですが、「絶対嫌だ!」と。次男には、「灘に行きたい!」という強い想いがあって、第一志望に迷いはなかったです。学校見学も一つも行ってくれませんでした。
そのため、愛光中学は灘受験の前に本番に慣れるための前受け校です。灘中合格が叶わなければ、地元の公立中学から高校受験で灘高を目指す。当初からその道も念頭に置いていました。
小1から毎日1時間以上の家庭学習。モチベーションは丸が増える達成感
―小学1年生の頃から毎日1~2時間の勉強時間を取っていますね。学習習慣を身につけるのが狙いでしたか?
「早いうちからの習慣づけが大事」という考えを持っていました。あとは、塾に通うときの入塾テストでつまづかないようにという狙いもあって、学校の宿題と別にプラスアルファの問題集を用意しておきました。3つ違いの長男の影響もあって、「お兄ちゃんが勉強しているから自分も」と自発的に取り組んでくれていましたね。
―自発的に勉強に向かわせるために工夫していたことがあれば、教えてください。
すごく工夫していたというほどではないですが、“区切り”は大切にしていたかなと思います。やらされて動く子ではないので、何かに夢中になっているときには自由にさせ、集中し終えたところで声をかけるように心がけていました。
もともと遊びと勉強を明確に線引きしていたというより、ゲーム感覚で取り組んでいたようです。「どれだけ丸が取れるか?」「丸がついたらうれしい」と、楽しみながら問題を解いていましたね。暗記するような単調な学びよりも、算数の難問などチャレンジングなことに燃えるタイプなんです。反面、簡単な問題で凡ミスをするといった課題もありましたが、勉強させるという面での苦労はありませんでした。
―小学の6年間、塾以外の家庭学習の時間は毎日どれくらいとられていましたか?
1~3年生までは1~2時間、4~5年生で2~3時間、6年生になってからは3~5時間くらいです。通塾開始は4年生の1月から。5年生にあがる少し前に、受験準備のために通い始めました。
―次男様にとって、塾に通うことは苦ではありませんでした?
4年生のころ、ちょうど「学校の勉強が面白くない。物足りない」と言い始めていたんです。学校では難しい問題に一緒に取り組んでくれる友達が少ないものの、、塾の友達だとみんなでワーっと盛り上がれるのが良かったと言っていました。
塾の友達同士で、不得意を教えてもらったり、逆に自分が得意なことを教えたり。決して学校が退屈だということではなく、楽しんで通学していましたが、自分と同じ目標を目指す仲間がいる塾ならではの充実感を得ていたようです。
灘中合格を目指して。塾での学びを主体に夫婦でサポート
―では、ここからは受験勉強について詳しくお聞かせください。通っていた塾はどちらになりますか?
塾は灘中の合格実績が高い浜学園に通っていました。入塾前のイメージよりも、先生方が積極的に個々に声をかけてくださったのが印象的でした。
―塾に通い始めてから、偏差値など学力面で大きな変化はありましたか?
偏差値は通塾前から受験本番までずっと60〜65あたりをウロウロしている感じでした。著しい変化はありませんでしたが、6年の後期には安定して65を超えられるようにはなっていましたね。
―塾について、逆に合わなかったことはありましたか?
灘中合格特訓が始まり、算数がどんどん難しくなってきたタイミングで個別の先生にオンライン授業をお願いしたことがありました。塾が終わって夜22時くらいから、オンラインで淡々とした授業ということもあり、眠気に悩まされていました。
受験本番が近づいてくると、塾の予定もどんどん詰まってきます。塾前後の隙間時間で学力アップを図ったのですが、時期的にも体力的にも次男には合ってなかったと思います。
―オンラインで集中する難しさは確かにありそうですね。
もちろん、子どものタイプによって合う・合わないがあるとは思うんです。うちの子は人とコミュニケーションを取ることが好きなので。オンラインだと先生との距離感がつかみづらくて受け身になってしまい、眠くなってしまう面もあったのかなと。
―ご家庭でのサポートについてもお伺いさせてください。お母様とお父様で役割分担などはされていましたか?
勉強のサポートは夫が担当。模試の日程調整やお弁当作りは私でした。
次男の場合、分からないことは塾の先生や友達に聞いて解決していたので、家に持ち帰ることはあまりなかったです。スケジュールは塾から宿題が山ほど出ますので、そこを主軸に動いていました。
次の塾までに課題と復習をきちんとこなして、間を縫って夫が準備した公開模試の過去問に取り組んでいたので、空き時間はほとんどなかったです。
―課題や復習で、学力向上につながった思う勉強法があれば教えてください。
塾で実施される復習テストで間違えた問題をしっかりフォローして、取りこぼさないようにすることが大事だと思います。間違えた問題の解き直しや理解が浅い部分の見直しなど、復習し続けることが大切だと感じましたね。
―時間のやりくりで工夫されていたことはありましたか?
塾に行き始めてからは無駄な時間はなかった気がしています。塾の先生からは入塾時から「ゲームをしている時間はない」とずっと言われていましたし、家で遊ぶ時間はとっていなかったんです。
習い事は5年生まで続けていて、放課後に友達と公園で遊ぶ時間もとっていたのですが、6年生になってからはその時間を削って勉強していました。
―そんなハードな日々のなか、次男様はどこでリフレッシュしていたのでしょうか?
塾の友達と話すことです。同じ環境に身を置くもの同士でお互いのフラストレーションを吐き出し合ったり、苦しい中で一緒に頑張ってるというクラスの一体感があったり。塾の仲間が彼の心の支えになっていたと思います。
―次男様を見守るお母様のお気持ちはいかがでしたか?
うちは共働きで、私もフルタイムで働いていたので「どこまでできるだろう?」という自問自答の日々でした。できる範囲でやれることを全うしようという思いでしたね。
例えば、受験直前には塾に1日中いることになるので、夜にお弁当を届けに行くお母さんもいるけれど、私は土日しか行けなくて。フルサポートではなかった部分もあると思いますが、できることは全部やったので後悔はありません。
―長男様の中学受験のご経験が、次男様の受験でも生かされていたと思いますか?
すごくありました。やはり弟にとってお兄ちゃんはすごく大きな存在ですね。次男はどちらかというと要領のいいタイプですが、長男は本当に真面目できっちりやるタイプなんです。その後ろ姿を見てきたので、地道にやりきる力の凄さを次男も肌で感じていると思います。
思うようにいかなかった、灘中合格のシナリオ。地元公立からのリベンジへ
―灘中受験の本番を迎えた日の次男様のご様子はいかがでしたか?
すごく落ち着いていました。浜学園って受験の日に先生と生徒が近くの校舎に集まって「行くぞ!」と気合を入れて、それぞれが試験会場に向かうんです。そのときもすごく冷静でしたね。
―その冷静さはどこからきているのでしょう?
受かるだろうか、どうだろうかというドキドキがあまりなかったからだと思います。自分でもギリギリのラインだということ、“勝ち筋”と“負け筋”を分かっていたんですよね。
難易度が高い算数問題を解くのが得意な次男は、算数で難しい問題が出れば他の受験生と差をつけられるというのが勝ち筋でした。
逆に簡単な問題が出たら負け筋。自己分析のもとで受験に挑んでいたので、腹をくくっていたというか。ダメでも公立中学から灘高を目指す!「諦めない!」という覚悟ができていました。
―結果は、灘中合格には惜しくも届かず。分析通りの結果だったのでしょうか?
試験が終わった後、次男に「どうだった?」と聞いたら、「頑張った。でも算数は簡単やったな」と答えました。算数が簡単だったということは、彼の言う「負け筋」。その時点で「落ちたかな…」「高校受験でリベンジだな」という心構えはできていたようです。本当にしっかりしていましたね。
分析の通り勝ち筋には乗れなかったのですが、思ったよりも他の科目の点が取れていたことは自信になったと思います。
結果は算数の点数だけが少し足りなかったので、分析の通り勝ち筋には乗れなかったのだと見ています。やはり「どうしても行きたかった灘中」に届かなかった悔しさは大きかったと思います。けれど同時に、思った以上に他の科目で点を取れていたことは大きな自信にもつながり、「自分はやれるんだ」という確かな手応えを感じられたのではないでしょうか。
―灘くらいの難関校といわれる学校となると、例えば塾でも中学・高校2回のチャレンジをするのはよくあることなのでしょうか?
あまりないですね。どちらかというと「中学受験で取りにいきましょう」という考え方の方が強いかと思います。中高一貫であれば、高校受験のための学習が必要ないので、6年間を大学受験に向けた学びに使うことができますよね。また、同じ学力レベルの子どもたちが同じ感覚でいれる環境は素晴らしいことだと思うんです。やはり、中学受験で行きたい学校に行けるのがベストではないでしょうか。
―合格していた難関校・愛光中学には進まず、地元公立中学へ。気持ちの切り替えはスムーズにできましたか?
「高校受験でも灘を目指す」と決めていたので、入試が終わって2週間後には新たな挑戦に向けて高校受験の準備を始めていました。あらためて入塾試験を受けて合格し、3月からは引き続き中学クラスに移行したという感じです。
中学受験を終えて、高校でもまた灘を目指したいと思えた原動力として、塾の仲間ともっと一緒に学びたいという気持ちもあるようです。それだけ塾が楽しかったんですよね。その環境が好きだったんだなというのはすごく感じているところです。
―素敵ですね。中学受験のクラスの友達とは今でもつながっているのですか?
灘中以外はすべて合格した子が他にいるのですが、今同じ公立中学に通っていて、一緒に灘高を目指すといって頑張ってます。塾で一番仲が良かった子は灘中に合格したのですが、その子とはあえて連絡を取らず、「自分が合格したら高校で会おう」って言っているそうです。切磋琢磨できる素晴らしい友達ができたことは次男にとって大きな財産だと感じます。
―公立中学に進学して良かったなと感じていることがあれば教えてください。
兄弟が3歳差なので、ちょうど長男を見てくれていた先生が3年間の持ち上がりを終えて次男のクラスを見てくださっています。
「遠藤の弟か」と声をかけてくださったり、本人が「灘高に行きたい」と伝えているので、難しいテスト問題を用意していただいたり、寄り添ってくれる先生が多く心強いです。あとは家から5分という立地も正直、ありがたいですね。
―まさに今、高校受験に向けて邁進されていることと思います。今はどんな取り組みをしていますか?
今は英語の勉強に力を入れています。英語は未経験で勉強の仕方が少しふんわりしてしまっていたので、その体制を整えているところですね。夫とマンツーマンで駿台模試の過去問を解きながら、文法の見直しや長文がきちんと読み取れているかの確認をして土台を強くするところです。
―最後に、中学受験の経験が次男様にもたらした変化・成長があれば聞かせてください。
目標を持つこと。そこに向かって努力すること。中学受験で得た学びは次男の中に確実に生きていて、学習面だけでなく精神面で彼をすごく強くしました。今も変わらず灘高合格という目標に向かって頑張っていますが、他の進路についても俯瞰して考えられるようになりました。視野が広く柔らかくなったと感じます。
勉強に一生懸命取り組んだことも、合格に届かなかったことも含めて、小学6年生があれだけの経験をするのは、かなりハードだったはずです。時々「もう無理かも」と言いながら、それでも前を向いている次男の姿を見ると、本当に強くなったんだなと感じます。
取材後記
今回の取材を通して、改めて中学受験は「合格か不合格か」だけでは語れない、大きな人生の通過点なのだと感じました。たとえ第一志望に届かなかったとしても、そこで得た気づきや学び、仲間やご家族との絆は揺るぎない力となり、次の挑戦へとつながっていきます。
卓弥くんは灘中合格を逃しても決して諦めず、「次は灘高で」と新たな目標を掲げ、すでに歩みを進めています。その姿からは、結果にとらわれず挑み続ける強さと、未来を切り拓くしなやかさを強く感じました。
不合格は終わりではなく、新たな挑戦の始まり。諦めずに夢へ挑み続ける姿勢こそが、彼をさらに大きく成長させていくのだろうと思います。ご家族の温かな支えとともに、その挑戦が実を結ぶ日を心から楽しみにしています。
執筆者プロフィール

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