東京大学への合格体験記 小1から学習開始時の偏差値70(1235) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 70
- 受験直前の偏差値
- 75
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
-
- 小1
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
高2 | 2〜3時間 | 3〜4時間 |
高3 | 3〜4時間 | 学習していない |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
成績が伸びたため
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
早い時期から高3までの勉強を終わらせ、過去問に取り組みました 何度かやっているうちに出来るようになりました。 出来ない問題をスクラップして、何ヶ月かしてから もう一度やるようにしました それを繰り返していたら問題が解けるようになりました
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
とくにありません
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
人の情報はいい加減なことが多いので、出来るだけ確かな情報をネットなどで調べてました 子供も一人一人能力が違うので、自分の子どもには何があっているのか どのような方法で伸びるのかをよくかんがえました
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
チャレンジの受験はやりませんでした
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
早め早めに色々なことをやり始める
塾での学習
受験時に通っていた塾
河合塾
- 小学生
- 中学生
- 高校生
- 高卒生
- 集団指導
- 個別指導
ココがポイント
- 高い合格率を誇り受験生からも人気!
- 難関大学や医学部受験対策に特化した指導
- プロ講師による熱血授業で志望校合格へ
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
高2 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
高3 | 週3日 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
合格者が多い
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
毎回の復習テストなどで、苦手な科目の知識も定着し何度もやる事によって 数学も間違えないようになってきた 周りの友達ともいい意味でライバルとなり、いい成績を取りたいと意識が高まった いい成績を取るとクラスが上がるので、それが勉強の張り合いになっていたと思う
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
今までにやってきた事で良かったと思う
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・1日のスケジュールを一緒に作成した
・子供の勉強時間には親も資格勉強や読書等を実施した
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・親も一緒に問題を解くなどを実施した
・生活リズムが崩れないように心がけた
睡眠をしっかりとるように心がけた 学校が遠く朝出るのが早かったので、夜は10時には布団に入るようにした リビングで勉強していたので、テレビはつけず勉強に集中できる環境を作るようにした 風邪などひかないように食事の栄養には気をつけていた
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
塾の宿題が多かったので、家ではお手伝いはどは あまりさせることができなかった もう少し色々な事をやらせた方が良かったかなた今では思う 休みの日はたまに気分転換になるように出かけることもした ゲームも全くやらせないのではなく、時間を決めてやるようにしていた
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。