東京大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値75(17417) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 75
- 受験直前の偏差値
- 75
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- わからない
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 学習していない |
高2 | 通塾していない | 学習していない |
高3 | 1〜2時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
地理
受験者の口コミ
受験の結果
合格できたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
本人に聞いた話では、かなり実践的な授業で、しかも先生の教え方が非常にうまく、短期間で実力を東大合格まで伸ばせたとのことです。まわりに勉強熱心な子どもたちがいたこともとても刺激になった様子です。実は、場所も自宅からすぐそば。自習室も夜遅くまで使えるなど非常にメリットが大きかったのも、よかった決め手です。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
とくにありません。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
超有名校であり、当然ながら情報はいろいろなところから入ってくる。実際、入学してからの本人の満足度はそうとうなもので、私自身は京大にいってもらいたかったが、いまでは東大に入ってくれてよかったと思っています。たとえば、大学からいままで3回ほど海外に派遣させてもらっています。このようなことは東大だからこそでしょう。就職も本人の希望するところに決まっています。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
本人の受験の意思が強かったので。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
とくにありません。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週1日 | わからない |
塾を選んだ理由
自宅に近い
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
先ほども書いたように、周りに非常に優秀な子どもたちがいたので、刺激が強かったようです。もともと、勉強熱心でモチベーションも高い子どもでしたが、それがさらに高まったのは、はたから見ていてもよくわかりました。勉強以外でも、講師の先生がいろんな意味での刺激になったようです。今回、就職がうまくいったのも、その時のアドバイスが聞いていると本人は言っていました。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
とくにありません。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・その他
同じ時期に、京都大学の法学部に息子さんが現役合格した同僚がいるのですが、この方もやはり同じで、東大京大に入るような子は、基本、親が口出しするようなことはない。本人たちのモチベーションが高く、勝手に頑張っている。ですから、家庭での取り組みのようなものは正直ありません。あえていえば、新聞を読んだり、本を読んだり、テレビもニュースを見たりと親も知的刺激を受けることでしょうか。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
上に書いたように、子どもが勉強を頑張っているのに、親がだらだらしているようでは、子どものモチベーションも下がるでしょう。ですから、新聞を読んだり、本を読んだり、テレビもニュースを見たりと親も知的刺激を受けること、ここが大切。それと、あまり勉強について口出ししないことです。すくなくとも、東大に入るような子はしっかりと自分をもっているので…。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。