鹿児島大学への合格体験記 高卒生から学習開始時の偏差値60(23093) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 60
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 50,001~100,000円
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1〜2時間 |
高2 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
高3 | 2〜3時間 | 3〜4時間 |
高卒生 | 4時間以上 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
数学(算数)
受験者の口コミ
受験の結果
現役で合格できなかったこと及び多浪となったことからか
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
生徒に対する向き合い方や熱心さは塾によってかなり異なると思います。データやノウハウは大手の方が間違いなく信頼できるけれど、個人的でなく一般的な見方や判断なので、あくまで参考程度になると思います。結局、自分がどらだけ自分の位置を正確に把握できるか?自分の学力がどれくらいなのかを正確に把握できるか?だと思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分の意思を最大限尊重し、押し付けや指示はしない
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
一般論や一般的なアドバイスや指導でなく、どれだけ生徒の細部も把握してくれて、アドバイスや指導をしてくれるかが重要と思う。あとは、一方的にそれを望むのでなく生徒側から積極的に聞いたり、相談したりすることが重要。究極はメディカルラボのようなところだが。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
偏差値5くらいは結果がブレる可能性あるので
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
入学してからも行きたいと思う学校、学部を選ぶ。さらにはその後何をしたいかを見据えた選択をする。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 通塾していない |
高2 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
高3 | 週2日 | 40,001~50,000円 |
高卒生 | 週5日以上 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
データやノウハウが優れていると思ったこと。それよりも子供の判断を尊重。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
ネットなどでは得られない情報を得ることができたことや受験校ごとに異なる傾向やクセ、それに対する対応について学ぶことができた。同じ学部を目指す同級生に囲まらて、競争心を持って毎日を取り組めた。また、ライバル視するだけでなく、お互い励まし合うなど力になったと思う。今でも塾で知り合った子たちとのつながりはあるようで、将来医師として社会に出た時もそのつながりは続くでしょう。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
はい
以前通っていた塾 | 早稲田アカデミー |
---|
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
苦手科目への対応をもっと強化
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・生活リズムが崩れないように心がけた
朝起きる時間、夜寝る時間、食事の時間は規則正しく。自分の部屋の整理整頓、掃除は欠かさず行うこと。リズムができると体調を安定するし、スケジュールどおりの活動ができる。あとは親子の会話時間はなるべく設けること。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
本人だけでなく、家族も精神的にも肉体的にも辛い時間を過ごすことになると思います。メリハリをつけて、たまにはリラックスしたり、食事を豪華にしたりすることも重要かと思います。コロナ禍でしたが、近場で散歩、家でヨガなどもよかったかと思います。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。