青雲中学校への合格体験記 小4から学習開始時の偏差値45(33755) 日能研出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 45
- 受験直前の偏差値
- 50
- 学習時間
- 一日4時間以上
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 小4
-
- 日能研に 入塾 (集団指導)
- 小4春
-
- 春期講習受講
- 小4夏
-
- 夏期講習受講
- 小4冬
-
- 冬期講習受講
- 小5春
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- 春期講習受講
- 小5夏
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- 夏期講習受講
- 小5冬
-
- 冬期講習受講
- 小6春
-
- 春期講習受講
- 小6夏
-
- 夏期講習受講
- 小6冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
小4 | 2〜3時間 | 学習していない |
小5 | 3〜4時間 | 学習していない |
小6 | 4時間以上 | 1時間以内 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
社会
受験者の口コミ
受験の結果
合格できた
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
塾の授業ない日にも自習教室に通うようになった。毎日勉強するリズムができた。弱点を自分で見つけ克服することができた。塾の先生にも質問する習慣もついてきた。過去問にも取り組むことも計画的にできるようになってきた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
計画を立てること
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
学校の場所や周辺環境は実際に行って見てみないと分からないから。参加している親御さんやそのお子さんの持つ雰囲気にも校風が反映されていることもあると思われる。また、先生達の言葉も直接的に聞くと、考え方や教育方針も直に感じることができる。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値ちょうど |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
実力を基準とすること
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
実力以上のチャレンジをすること
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
小4 | 週2日 | 10,001~20,000円 |
小5 | 週3日 | 20,001~30,000円 |
小6 | 週5日以上 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
良い評判を聞いていたから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
予習と復習を習慣的に行うようになってきた。毎週のように繰り返しテストがあるので、時間配分やテクニックが自然と身についたように感じる。同じ目標を持つ仲間たちと一緒に切磋琢磨することで子供自身も成長できたと思う。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
計画的に勉強すること
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・生活リズムが崩れないように心がけた
親も一緒になって難しかっ問題を解いたりすることで、子供も孤独感を感じることなく受験勉強に打ち込める、気がする。受験直前には、とにかく感染症対策を入念にすることが 重要と考えられる。幸いにも、受験当日に体調を崩すことはなかった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
毎日の塾夕ごはん、お風呂、就寝というサイクルを崩さないようにすることが肝心であると思われる。子供に少々の感情の波があっても、親が動揺しないような心構えを持っていることが大切であると考えられる。兄弟がいる場合は、受験勉強の邪魔をしないように協力体制が必要となる。
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- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
中学受験のために通い始めました。 志望校がなかなか絞ることができず、結局志望校を2校目指して受験しました。 結果、受験した全ての学校に合格し、進学する学校を選ぶことができました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
3人目なのである程度のノウハウは親の方も持っていましたので 宿題や問題集は間違いノートを作成し、解けるようになるまで何度もやりました。その予定やノート作りは親が管理しました。