清泉女学院中学校への合格体験記 小4から学習開始時の偏差値40(4746) 日能研出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 40
- 受験直前の偏差値
- 55
- 学習時間
- 一日4時間以上
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 小4
-
- 日能研に 入塾 (集団指導)
- 小4冬
-
- 冬期講習受講
- 小5春
-
- 春期講習受講
- 小5夏
-
- 夏期講習受講
- 小5冬
-
- 冬期講習受講
- 小6春
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- 春期講習受講
- 小6夏
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- 夏期講習受講
- 小6冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
小4 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
小5 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
小6 | 4時間以上 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
志望校には合格できたので
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・偏差値を気にしすぎず、通える範囲で学校見学に行ったこと
部活をやめて、勉強を趣味の時間に没頭できる環境を整えた。 学校生活でも、放課後の時間をなくして、速やかに帰宅して、勉強できる環境を作った。 ゲームが好きだったので、成績次第で遊べる時間が変わるような仕組みを整えた。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
集中力を上げるほうが好ましい
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
最も新鮮で有意義な情報を持っているのが塾だし、自分自身の経験を学校の校風を考え見て、最終的な判断を下せる。 逆に、ママ友や先輩の情報をシャットアウトした。自らが受験していないような親の情報を受けることが無いような環境を作った。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-5以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
受験では波乱万丈があるが、おおよそ偏差値通りなので。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
偏差値を意識した地道な努力
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
小4 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
小5 | 週3日 | 30,001~40,000円 |
小6 | 週5日以上 | 50,001~100,000円 |
塾を選んだ理由
勉強に対する環境が整っているので
通塾することで最も大きく変化したこと
◎短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
自らが勉強に取り組むような習慣が身についた。 わからない問題に対して、あきらめることなく、意地でも解こうとする力が身についた。 また、できなかった問題に対しても、後日改めて解くことで自分のものにする習慣が身についた。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・予習/復習など自習の習慣がついた
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
学校だけではなく塾が必須である
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・生活リズムが崩れないように心がけた
体が資本なので、なるべく栄養のあるもの、滋養のあるものを食べさせるようにした。 また、夜型になりがちなので、なるべく早く寝かせるような努力をした。 結果的に、1年以上も、風邪をひくことなく、効率的に勉学に励めたと思う。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
親も一緒になること。 自らが子供のころの受験の経験を思い出して、何が足りていて何が足りないのか、しっかりと見極めることが大事。 親が受験していない場合は、やっぱり、取り組みが甘いし、方向性がコロコロ変わるので、自らを信じることが大事。
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日能研 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
中学受験のために通い始めました。 志望校がなかなか絞ることができず、結局志望校を2校目指して受験しました。 結果、受験した全ての学校に合格し、進学する学校を選ぶことができました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
3人目なのである程度のノウハウは親の方も持っていましたので 宿題や問題集は間違いノートを作成し、解けるようになるまで何度もやりました。その予定やノート作りは親が管理しました。