東北大学への合格体験記 高3から学習開始時の偏差値60(5003) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 60
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日1〜2時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 高3
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 通塾していない | 1時間以内 |
高2 | 通塾していない | 1時間以内 |
高3 | 1〜2時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
生物
苦手科目
英語
受験者の口コミ
受験の結果
第一志望合格
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
問題集を用いて、自分のできているところとできていないところ、理解が不十分なところを見つけて区別して、十分ではないところについて復習し、じっくりと実力を養成する。再び問題を解いて復習の成果を確認し、再び復習が必要なところを発見していく。この繰り返しで成績が上がっていく学習方法を確立した。数学のように特殊なテクニックが必要な教科については予備校の授業で補った。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
やみくもに勉強するのではなく、効果的な学習法を確立して、学習計画を立てながら実行していくこと。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
その他
自分で学びたいことをその学校で学べるのか、自分で調べて納得して志望した。 何を学びたいのか、目標を決めることが必要。校舎や設備が綺麗、立派、楽しそう、などで選ぶのではなく、やりたいことがあるか、興味があることがあるか、学べることの方向性を見極めて志望した。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
浪人してでも第一志望を追求すべき。チャレンジや滑りどめは必要無かった。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分の成績を物差しにすると、成績は上がりにくくなる。目標を決めたら突き進め。
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週1日 | 通塾していない |
高2 | 通塾していない | 通塾していない |
高3 | 週1日 | 10,001~20,000円 |
塾を選んだ理由
通学しやすかった。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
初めは思いついた通りに解答していて、すんなり正解できることもあれば、面倒な方法などを選択してしまい時間がかかっていたのが、受講したことで数学のテクニック、思考力の幅が広がった。 問題にあたる上で、解答方針の選択が広がり、効率よく、解答に臨めるようになった。 解答中につまった時の対策なども身につき、成績アップに大きく役立った。
通塾することで変化したこと
・受験ならではのテクニックが身についた(時間配分など)
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
集中して学習できる環境があるかどうかを塾選びのポイントの1つにすべき。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
受験生だから勉強だけすれば良いという方針ではなく、メリハリをつけた活動が学習効果が高まる。遊ぶ時は遊ぶ。学校活動に打ち込む時は集中する。勉強だけをするからだらけるのです。学習すべき時間になれば、その時間は集中して学習するようになりました。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
週間または月間での長期的な学習目標を決める。目標達成時のご褒美(趣味や楽しみ、遊ぶ時間)を設定する。厳しい目標ではなく達成可能な目標を設定してやる気が落ちないようにする。毎日何時間以上勉強するというような計画は自分を追い込むだけなのでNG
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。