東北大学への合格体験記 中1から学習開始時の偏差値55(5044) 河合塾出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 55
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
通塾期間
- 中1
-
- 河合塾に 入塾 (集団指導/個別指導)
- 高1春
-
- 春期講習受講
- 高1夏
-
- 夏期講習受講
- 高1冬
-
- 冬期講習受講
- 高2春
-
- 春期講習受講
- 高2夏
-
- 夏期講習受講
- 高2冬
-
- 冬期講習受講
- 高3春
-
- 春期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
高1 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
高2 | 2〜3時間 | 2〜3時間 |
高3 | 2〜3時間 | 4時間以上 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
英語
苦手科目
日本史
受験者の口コミ
受験の結果
まずまずなので
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・自発的に勉強する環境を作ったこと
自分自身で勉強計画を立てて、自分自身でいろいろや志望校の過去問を赤本等で勉強する習慣を身に付けた。すなわち、人には頼らずに、自分自身で自分自身に最適の勉強法を編み出すことが志望校の合格に向けて最も重要であると思います。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
人に頼らない
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
興味のある大学(すべて旧帝大)やそれに準ずる大学(例えば東京工業大学)のオープンキャンパスに参加して、その大学の学生にじかに接することで、各大学の校風の一端を知ることができ、それによって、その大学を「さあ、頑張って志望校に行くぞ」という士気が上がったから。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値+5以上 |
特になし
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
頑張って下さい
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
高1 | 週1日 | 10,000円以下 |
高2 | 週1日 | 10,000円以下 |
高3 | 週1日 | 10,000円以下 |
塾を選んだ理由
有名な塾だから
通塾することで最も大きく変化したこと
◎短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
塾の教材を自分自身で理解し、自分自身で再度整理することで力をつけて行ったと思います。それと、塾の行っている模擬試験では、間違えた問題や解けなかった問題に対してどうして解けなかったのか、どのようにしたら解けるようになるかをまとめて整理するノートを作るようになったのが良かったと思います。
通塾することで変化したこと
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
頑張って下さい
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・親も一緒に問題を解くなどを実施した
・生活リズムが崩れないように心がけた
子供が家で勉強している時にはテレビを消すなど、本人が集中できる環境を整えるとともに、本人が解き方がわからないので教えて欲しいと助けを求めてきた問題に対しては、その解法をわかりやすく説明する解説書を作成した。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
遠くの目標ばかりを見ていると焦ってしまうので、短期の目標を立てて、各単元ごとに地道に理解を深めていくことが重要と思います。その際に絶対に受験テクニックを丸暗記することは避けて、物事の本質を理解するような解法を身に付けることをサポートしてあげられれば、きっと受験後にも通用する確かな学力を身に付けられるものと思います。
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塾の口コミ
河合塾 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
国立大学医学部医学科に進学するために通塾していました。 結果、現役で合格できたので、目的は達成できました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
成績が下がった時は、前述のチューターが根気よく声かけをしてくださり、保護者にもマメに電話連絡を入れてくださっていました。それが最後のスパートにつながったと思います。