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東京学芸大学卒!人気お笑い芸人 かが屋・賀屋壮也さんに聞く!『わたしの受験体験記』

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編集部

塾選(ジュクセン)編集部

「キングオブコント2019・2022」でファイナリストとなり、今やTVで見かけない日はないくらいバラエティーでもひっぱりだこのお笑いコンビ「かが屋」のメンバー・賀屋壮也さん。コント師として実力を発揮するにとどまらず、ドラマの脚本をも手掛けるなど、幅広い分野で活躍する賀屋さんですが、東京学芸大学卒業で教職免許を所持しているという意外な一面も。この度、「塾選」の地方CMに出演いただいたご縁で、賀屋さんの幼少期のお話から塾通いを含む2度の受験体験についてインタビューさせていただきました!

目次

▼プロフィール
賀屋 壮也(かや そうや)
1993年生まれ、広島県・呉市出身。マセキ芸能社所属のお笑いコンビ芸人「かが屋」のメンバー。

中高一貫校の呉青山中学校・高等学校、東京学芸大学を卒業。 在学中に教員免許(中学社会・高校公民)を取得。

バイト先のコンビニで出会った加賀翔と2015年にコンビを結成。

教育熱心な母のもと、平家物語を諳んじていた幼少期

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―どのような環境下で子ども時代を過ごされていましたか?

僕の両親は2人とも高校の国語教師でしたが、家庭の事情で父と同居していたのは幼稚園に入るまでで、そこからは母と兄弟3人と一緒に暮らしていました。

僕が幼少期から小学生の間、古文の先生だった母は勉強に対してものすごく厳しかったですね。3人兄弟の真ん中が僕なんですが、兄弟全員に対して漏れなく教育熱心でした。

兄弟それぞれに母お手製の“必殺古文プリントファイル”みたいなものが渡されていて、僕たちはそのファイルを覚えていくんです。 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」のような有名な古文・漢文の全文は諳んじられるように。

こうして幼い頃から当たり前のように勉強してきたおかげで、小学校までの勉強を苦に思ったことはありませんでした。特に学校で古文の授業が始まった時には何の抵抗もなくスムーズに入れましたね。

―賀屋さんは、中学受験も経験されていますが、どのような背景から受験されたのでしょうか?

母の勧めだと思います。兄も同じ中学に進んでいたので僕も、という程度だったのと、塾の友達も受けると聞いたので、友達と行けるならいいかなーくらいの感じでした。

自分の意思はそれほど入ってなかったですね。 幼稚園児の頃から近所の英会話塾に通ってはいたのですが、小4からは中学受験のために地域の少人数制の塾に通うようになりました。

塾があるのは休日で、学校の友達も通っていたので、場所だけ違う学校のような印象だったかもしれません。

塾では苦手な算数を特訓してもらっていていたのですが、その時はそれが本当に嫌で(笑)。正直なところ、当時はとにかく「休みたいなぁ」という気持ちでいっぱいでした。

でも、おかげで志望校に合格することができたので、結果としては良かったなと思っています。

―嫌でも頑張った甲斐がありましたね。お話を伺っていると、賀屋さんは、お母さまがおっしゃることに対して非常に従順に素直に応えられてきている印象を受けるのですが、お母さまはどのような存在でしたか?

母が厳しかったのは小学生まででしたが、その間は母親であると同時に最初の「先生」だったかもしれないですね。遊びたい盛りだったので、それはもう嫌でしたよ。

でも、そんな母も僕が中学に進学する頃にはやわらかくなっていて、「~しなさい!」と言ったり、勉強に口出したりすることもなくなっていきました。

これは、想像の域を超えない話ですが― 僕が中学にあがるかどうかの時期に、母の本棚にカバーが全部裏返しになっている本を見つけたことがあって。

何だろうと気になって裏返して見てみたら『よくわかる離婚調停』という本でした(笑)ちょうどその頃父との離婚が成立したんです。だからきっとそれまで母も気が張ってたんじゃないかなと。「自分ひとりで、きちんと育てなきゃ」というプレッシャーで子どもたちに厳しくしていたけれど、そこらへんから母はすごく優しくなった気がします。

―そうだったんですね。その後も反抗期などはなかったのでしょうか?

はい。反抗期は、なかったですね。というのも兄の反抗期がすごく強くて、それを間近で見ていたので自分はそういう気持ちにならなかったといいますか…。

兄弟3人そんなことになったら、母ひとりで大変じゃないですか。それに兄の様子を見ていて反抗期ってあまりかっこよくないなと思ったんです。

なので、僕の代わりに兄が反抗期をやってくれた感じですね。

勉強から解放され青春を謳歌した中高一貫校時代

―受験を経て、入学された呉青山中学校・高等学校の学生生活はいかがでしたか?

中高一貫校に入ると高校受験もないので、すっかり勉強しなくなりましたね。

思い出に残っているのは、当時高校に存在していなかった野球部を作ろうと有志で集まっていた時のこと。呉青山は新設校でグランドが小さかったので、野球部はなかったのですが、それでも野球がやりたい!という子が何人かいました。それで、近くの自衛隊のグランドを借り、同好会として活動していたんです。

そんな僕たちに共感した野球好きの数学の先生から、ある時こんな提案がありました。

「お前らが本当でやる気があるというのならば、野球をやらせてあげたい。ただひとつ条件がある!次の期末テストで全員、赤点を取るな!誰も赤点を取らなかったら、その時は部として認めよう」と。

つまり、僕たちを応援してくれていた先生はものすごく低いハードルを設定してくれたわけです。仮にも全員中学受験を乗り越えてきて、勉強ができない子たちでもないので、赤点なんてそうそう取らないですからね。これで俺たちの代から野球部が始まる!と意気込んでいたのですが…。

期末テスト、フタを開けてみたら有志15人中8人位がまさかの赤点!先生はブチ切れて終わりました(笑)結局、同好会から部になることはありませんでしたが、それもまた青春の思い出ですね。

勉強熱心な他校の生徒から大いなる“刺激”をもらった塾通い

―楽しい呉青山生活をお過ごしだったんですね!勉強はすっかりしなくなったとのことですが、塾には通われていましたか?

学校の勧めで高2の頃から、広島の大手塾「鷗州塾」に通うようになりました。「鷗州塾」はうちの学校と一時期提携していたので、塾の先生が学校に来て教えてくれたりしていて馴染みがあり、同級生も通っていましたね。 塾が終わるのは夜9時や10時。

そこからヘトヘトな状態で勉強するというのは、最初から無理だとわかっていたので、「塾が終わったら今日の勉強は終わり!」とできるように学校から塾までの間に勉強したり、授業中にできるだけ覚え切るように心がけたりと工夫するようになりました。

そんなわけで、塾に通い始めるまでは、テスト前に必要にかられて怒られない程度に勉強するレベルだったのですが、入塾して学習習慣は身についたと思います。

賀屋さんが通っていた鷗州塾の詳細はこちら

―他にも塾に行って良かったなと思うことはありましたか?

学校に進められて塾に行くことにはしましたが、正直そんなに乗り気ではなかったです。

ところが、実際塾に行ってみると、他校のやる気のある生徒たちがいっぱい来ていて。 中高一貫だった僕の学校は、みんな仲良く、全体的にのんびりした雰囲気。

もちろん勉強する子はしていたと思いますが、きちんと勉強している”集団”に出会ったのが塾で見たその時が初めてだったんですよ。あれは同級生ながら、すごく大人びて見えた瞬間でしたね。

そして、同時に危機感も覚えました。自分の同級生でこんなに勉強している人たちがいるんだ!あの大学に行きたいならこれくらい頑張らなきゃいけないんだ!

これくらいの姿勢で臨まなきゃいけないんだ!そんな気持ちにさせてもらい、僕自身勉強に身が入るようになりました。

ずっとホーム(学校)だけに居続けていたら味わえなかった“刺激“をもらえたこと―これは僕が塾に行って得た最大の価値だったと思っていますし、受験を乗り切るうえで必要不可欠なものでした。

―外の世界でいい刺激をもらえて、モチベーションがアップされたんですね! 塾でのエピソードで一番心に残っていることは何ですか?

ちょっと恥ずかしいのですが、実は塾に「可愛いな」と思う他校の女子がいました。自習室で見かけるとか、すれ違うレベルで、最後の最後まで全然しゃべれなかったのですが、それが塾に通う一つの大きな理由にもなったりしていて(笑)

「塾に行かないと会えない人」の存在は、当時の僕の心の中では大きかったですね。

東京に行きたい!一心でセンター試験の過去問演習に燃えた大学受験

―ところで、賀屋さんは志望校はどのようにして決められましたか? 具体的にイメージしていた将来就きたい職業などはあったのでしょうか?

これがやりたい!みたいな将来像はまだ決まってなかったのですが、とにかく東京に行ってみたい!

東京で一人暮らししてみたいという思いは強くありました。それで自分の学力で行けそうな国公立を志望校にした感じです。

―その志望校合格に向けて、どのような受験勉強をされていましたか?

僕は本気で受験勉強始めたのが人より遅くて。高3の夏くらいだったと思います。

周囲は志望校を早い段階で決めて、既に2次試験の対策に取り組んでいる状況でしたが、自分にはもうそんな時間がない。

でも、センター試験だったら何とかなるんじゃないか?!と思って、志望校もセンター試験の配点が高いところを選ぶようにしていました。 鷗州塾の先生の方針でもあり、受験勉強の大半はセンター試験の過去問演習に集中。

自分で時間を計りながら、規定の時間より10分くらい短くして取り組んでいたと思います。とにかく数多く過去問を解いて、わからないところは先生に聞きに行くというシンプルな方法で、センター試験を乗り越えました。

過去問を何年から何年までやったというのは具体的な実績になるので自信にもつながりましたね。

―賀屋さんは大学で社会の教員免許をとられていますが、社会のおすすめの勉強法などあれば、お聞かせください

僕自身は暗記得意だったので、ゴリゴリ暗記してましたね。暗記科目って、やった分点数も稼げますから、それもモチベーションになって。

でも、今おすすめするのであれば、歴史だったらまずはストーリーから入るってことかなぁ。好きな俳優さんがやってる大河ドラマでもなんでもいいんですが、それをまず観てストーリーを知り、興味を持ったところは自分で調べたりするし、そうやって入れた知識は覚えやすいと思います。

―全然結果が出ない、模試の点数が伸びないなどのスランプはありましたか?

勉強を始めてから2か月後くらいまでは、点数が伸びていたのですが、そこからあまり伸びなくなった印象です。ダイエットと一緒で停滞期はあるんでしょうね。

僕の場合は、ケアレスミスや暗記科目で覚えきれてないところで点数を落としていたので、そこを中心に勉強していました。

東京学芸大学2次試験前日に起こった東日本大震災

―受験本番はいかがでしたか?

前期では横浜国立大学を受験していたのですが、落ちてしまったので、後がない状態で後期受験の東京学芸大学に挑みました。東京学芸大学の2次試験の前日に上京し、八王子に住んでいた兄のところで前泊予定だったのですが、新幹線が途中、熱海で停車してしまって。

どうも地震で止まったらしいということだったのですが、今一つ事態がつかめないまま、東京駅に到着。そこで初めて、大変なことになっているということがわかりました。とりあえず、母に電話して無事を知らせたのですが、どうも東京駅で過ごすことになりそうだと。ちょうど母に持たされていた寝袋があったので、それで一夜を過ごし、翌日受験会場である国分寺向かったのでした。

―慣れない東京で、まだ揺れもおさまらないあのカオスな中、よくぞ目的地に辿り着きましたね!すごいメンタル!

いえいえ、別にメンタルが強いとかじゃなくて、そうするしかなかったんですよ。京王線が運転再開していることがわかったので、何とかして国分寺に向かい、2次試験を受ける。そのために東京に来たからって感じです。2次試験は面接だったので、前日の出来事の一部始終を話したくらい。でもその結果合格だったので、行ってよかったですね。

あの時、怯んで行かなかったら、東京学芸大学はもちろん、東京にも出て来れていませんでした。そして、もちろん、大学そばのコンビニでバイトをすることもなかったでしょうから、相方と出会うことも出来なかったですし、今こうしてお笑い芸人をやっていることもなかったですね。

―最後にこれから受験を迎える、学生たちに対して応援メッセージをお願いいたします!

大人たちから、「若い時に勉強しておいた方がいいよ」「自分から興味を持って動かなきゃだめだよ!」と言われた時、「え?!なんで?!なんでやらなきゃだめなの?!」と思ってしまうのが、中高生時代。大人の言うことは、たとえ正しくても、なかなか素直に受け入れられないお年頃だったりしますよね。

そんな時、僕にとって親や学校の先生といった「大人たち」と「自分たち子ども」の間くらいにいる存在が、塾の先生だったように思います。同じ先生でも、学校の先生とはちょっと違っていて、塾の先生は若くて、身なりもなんかかっこよくて、自分もこんな風になりたいなと憧れを感じる、魅力的な存在でした。

そうした存在から言われる言葉は、スッと心に入ってきたりする。 みなさんの周りにも、きっとそういう存在がいると思うので、探して話を聞いてみると新しい発見があるかもしれません!そして、これは僕個人の考え方ですが、「勉強は、しなければいけないことなので、する!」でいいんじゃないかと思っています。

自分の幼少期がそうだったからなのか、ある程度強制されながら、あるいはある程度の理不尽さを抱えながら、やることも大事だよなぁって最近思うんですよ。「なんでやんなきゃいけないんだよ?!」を考え抜いた方が賢くなったりしませんか?!

もちろん、素直に勉強している子もちゃんと賢くなりますけどね!

この記事はインタビューを基に執筆されました。
文・編集/牛田雅子

執筆者プロフィール

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塾選(ジュクセン)編集部です。実際に学習塾の運営経験がある者や大手メディアの編集経験がある者などで構成されています。塾選びにお悩みの保護者や学生の方に向けて有益な情報をお届けします。

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