日能研 中部校の口コミ・評判
日能研 中部校 保護者(母親)の口コミ・評判【2020年07月から週5日以上通塾】(26197)
総合評価
5
- 通塾期間: 2020年7月〜2021年12月
- 通塾頻度: 週5日以上
- 塾に通っていた目的: 中学受験
- 成績/偏差値:下がった
- 第一志望校: 沖縄県立球陽中学校
総合評価へのコメント
総合的な満足度
小学校の基礎は、今後の勉強にとって重要だと思い塾に通う事にしました。小学校の体制では、不足だと感じたからです。その中で、行きたい学校が見つかり公立中学に行かない選択肢を選んだのですが、塾の先生や他校の生徒の影響力も大きかったと思います。色々な選択肢が選べる状況はプラスにしかならないと考えているので、校外での活動はおすすめです。
この塾が性格に合っていると思った点、合っていないと思った点
勉強内容にある程度ついでいけることが前提ですが、合っていない点はマイペースに過ごしたい子には集団授業は向いておらず、あっている点は向上心のある子やいろんな事に興味がある子には向いていると思います。総じてあっていたと思いました。
目次
保護者プロフィール
回答者:
母親(40代・会社員)
お住まい:
沖縄県
配偶者の職業:
配偶者は居ない
世帯年収:
701~800万
生徒プロフィール
通っていた学校種別:
公立
教室:
日能研 中部校
通塾期間:
2020年7月〜2021年12月
通塾頻度:
週5日以上
塾に通っていた目的:
中学受験
志望していた学校
成績について
入塾時の成績/偏差値:
60
(日能研)
卒塾時の成績/偏差値:
55
(全国模試)
費用について
塾にかかった月額費用:
100,001円以上
塾にかかった年間費用:
六年生で年間100万円くらいかかると思います。
この塾に決めた理由
沖縄県内で中学受験に特化した全国展開の唯一の塾だから。見学に行った時に、雰囲気が良かった事と周辺の環境もいいと思ったからです。
講師・授業の質
講師陣の特徴
先生達も子供達に勉強を教えるのが好きだと感じました。塾にいる時間は長かったですがそれぞれの先生との対話を楽しんでいたようです。何よりも勉強が嫌だから行きたくないとならなかったのが、助かりました。学校の先生よりも信頼していた様です。
生徒からの質問に対する対応の有無
あり
質問用紙に記入し、回答を後日もらう。もしくは宿題でわからなかったら宿題の提出ノートに記入して返却してもらった時に、ノートを自分で確認する。自習室利用時は先生がいたら、その場で質問可能でした。
1日あたりの授業時間について
4時間以上
授業の形式・流れ・雰囲気
ひとクラス30人くらいで学校のようなクラス編成でした。席順が成績順で固定位置ではなく、定期テストの成績でクラス編成と席順が変わっていきます。クラスも席も成績順ですが、バタバタとした変な空気はなく明るい雰囲気でした。
テキスト・教材について
独自のテキスト、前期と後期でテキストが変わるのと夏期講習、冬季講習、特別講習などでそれぞれテキストがありました。
指導方針・カリキュラム
カリキュラムについて
五年生までで六年生までの学校で受ける授業内容は終了します。細かく、毎週の内容を教えてもらえるのと質問の用紙も置いてあります。分からないところは随時質問可能ですが、積極性のない子は難しいのかもしれません。
定期テストについて
毎週の授業内容を確認するテストと、毎月のテストがあります。
宿題について
宿題用の冊子が国語、算数はありました。単元毎に宿題が出るような感じです。五年生までは毎日少しづつこなせば無理のない量でした。六年生になると、毎日塾もあるのでハードにはなっていきます。
塾のサポート体制
保護者への連絡手段
電話連絡
保護者への連絡頻度・内容などについて
3ヶ月に1回
定期的な連絡は授業態度や勉強の進捗内容などの面談の連絡で、主に連絡事項は紙で待たされてきます。そのほか何かあれば、都度電話連絡が来ていました。
保護者との個人面談について
3ヶ月に1回
授業態度、勉強の進捗具合など。こちらからの質問事項があれば質問に答えてもらう。生徒数が多く時間も限られているため、個別の時間をとってもらえる頻度は低めだと思います。
成績が不振だった場合の塾側との相談・アドバイスについて
とにかく毎日の復習と見直し、小さなできる事からコツコツと勉強する事をアドバイスされました。塾が終わったあとも、自宅で復習する時間を設けるとかなり変わりますが、本人のやる気があるかどうかです。
アクセス・周りの環境
塾へは車で30分程度かかったが、塾周辺には商業施設があり数時間なら待つ事も可能。商業施設の駐車場も使えるのがポイントでした。
家庭でのサポート
あり
何をどうするのかの管理はある程度してあげないといけないと思います。あと、体調管理やモチベーションを保つ努力はしていました。、