大阪府立夕陽丘高等学校への合格体験記 中1から学習開始時の偏差値55(45343) KEC近畿予備校出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 55
- 受験直前の偏差値
- 65
- 学習時間
- 一日2〜3時間
- 月額費用
- 40,000〜50,000円
受験者のプロフィール
進学前に通っていた学校
公立 中学校志望していた学校・受験結果
志望順 | 学校名 | 合格判定 | 受験結果 |
---|---|---|---|
1 | 大阪府立高津高等学校 | D判定 | 未受験 |
2 | 大阪府立八尾高等学校 | C判定 | 未受験 |
3 | 大阪府立夕陽丘高等学校 | A判定 | 合格 |
進学した学校
大阪府立夕陽丘高等学校通塾期間
- 中1
-
- KEC近畿予備校に 入塾 (集団指導/集団指導(少人数)/完全個別指導/通信・ネット)
- 中2冬
-
- 冬期講習受講
- 中3春
-
- 春期講習受講
- 中3夏
-
- 夏期講習受講
- 中3冬
-
- 冬期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
中1 | 1〜2時間 | 学習していない |
中2 | 1〜2時間 | 学習していない |
中3 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
数学(算数)
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
塾のお陰で勉強についていけたから
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・偏差値を気にしすぎず、通える範囲で学校見学に行ったこと
塾に通うだけで勉学をおろそかにすることなく、お友達と一緒に遊んだり出かけたり、またクラブ活動にも3年間全力で取り組め、3年間をバランス良く過ごせた事が良かったように今となっては思い返すことが出来ます。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
睡眠時間が大切
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
塾からの情報
そのタイミングでの本人の偏差値などから目指す志望校、現実的な志望校等を的確に教えてくれた事。 また各教科ごとに苦手なところ、得意なところを指摘していただき現状必要な勉強とは何かの方向性を教えてくれたところ。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値-5以下 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値-10以下 |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
受験日が近づくにつれ全体の偏差値が上がるから
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
間違えた設問の復習が大切
塾での学習
受験時に通っていた塾
ココがポイント
- 科目×能力×志望校別クラスで、一人ひとりの習熟度に合わせて志望校が目指せる
- 受験指導経験が豊富な実力派講師陣から進路指導が受けられる
- 自習室はいつでも利用可能。講師が常駐していて気軽に質問できる!
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
中1 | 週3日 | 20,001~30,000円 |
中2 | 週4日 | 30,001~40,000円 |
中3 | 週5日以上 | 30,001~40,000円 |
塾を選んだ理由
クチコミ
通塾することで最も大きく変化したこと
◎入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
平均的な成績だった小学校の6年間と比べて中学校でまずまず上位の成績でいれた事が中学3年間を楽しめた大きな要因の一つだと考えます。 楽しみながら通学してたように思えます。 学校だけでなく他校の友達も出来たのもプラスと考えます。
通塾することで変化したこと
・入塾時から偏差値が大幅に向上した(+10以上)
・短期間で偏差値が向上した/得意科目の成績が向上した
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
力を抜いて
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・塾以外の習い事や部活を休止した
・生活リズムが崩れないように心がけた
全くしてあげれる事が見いだせなかったので力足らずだと思います。 子どもの力のみで受験に臨んだと言っても過言では無いので何とも言い難いですが、プラスになったかは分かりませんが唯一プレッシャーを与えなかった事は良かったように思えます。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
3年間通じて家ではのんびりとリラックス出来てたのではないかと考えます。 勉学は学校と塾にお任せしていました。 最終学年はon-offをしっかりするように伝えていたので気だけ焦らないようメンタル面のみ気を配っていた最後の1年間だったと記憶しています。