千葉日本大学第一中学校への合格体験記 小4から学習開始時の偏差値40(50132) 日能研出身
- 回答者
- 保護者
- 学習開始時の偏差値
- 40
- 受験直前の偏差値
- 50
- 学習時間
- 一日3〜4時間
- 月額費用
- 40,001~50,000円
受験者のプロフィール
通塾期間
- 小4
-
- 日能研に 入塾 (集団指導)
- 小5夏
-
- 夏期講習受講
- 小5冬
-
- 冬期講習受講
- 小6春
-
- 春期講習受講
- 小6夏
-
- 夏期講習受講
学習開始時偏差値分布
1日あたりの学習時間推移
塾の授業 | 家庭・自習 | |
---|---|---|
小4 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
小5 | 2〜3時間 | 1〜2時間 |
小6 | 3〜4時間 | 1〜2時間 |
受験時の得意科目・苦手科目
得意科目
社会
苦手科目
国語
受験者の口コミ
受験の結果
結果に繋がったので。
受験活動全体を通して、特に実践してよかったこと
・過去問に重点的に取り組んだこと
基礎問題を集中的にやることで拾える問題を増やすことを徹底した。ポカをしないように記憶系の科目は特にこれを徹底することでテストへの向き合い方を変え、受験時に落ち着けることを目指した。これにより出来る問題から取り掛かることで落ち着けたと思っている。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
基本に立ち返る。
志望校選び
志望校を決める際にもっとも役立ったもの
学校見学・オープンキャンパス
通学時間や方法と学校の雰囲気をなにより重視した。楽しく学生生活を送れるか否かは現場を見ないと分からず、生徒の醸し出す空気を感じたいと考えた。また、施設及び設備については一朝一夕に変わるものではないので最低限のところは確認した。
志望校を決める際にどんなレベル分けをしていたか
本命 | 自身の偏差値+5以上 |
---|---|
滑り止め | 自身の偏差値ちょうど |
チャレンジ校 | 自身の偏差値ちょうど |
自分のレベルより下であれば受験する意味が無いので。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、志望校を選ぶにあたって当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
自分らしく!
塾での学習
受験時に通っていた塾
塾の費用について
通塾頻度 | 月額の費用 | |
---|---|---|
小4 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
小5 | 週2日 | 30,001~40,000円 |
小6 | 週3日 | 40,001~50,000円 |
塾を選んだ理由
それなりの人数の生徒がいることで刺激もあり、情報量も豊富であったから。
通塾することで最も大きく変化したこと
◎苦手科目の成績が向上した
勉強をすることが習慣化されたことと、自分の立ち位置が把握出来たことは有用であったと思っている。一方で、集団学習に不向きであったことから最終的には個別学習を選択して基礎問題に徹した。これらの融通が効く塾であったことは幸いであった。
通塾することで変化したこと
・苦手科目の成績が向上した
併塾の経験はありますか?
いいえ
転塾の経験はありますか?
いいえ
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、塾での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
諦めずにとにかく続ける。
塾以外の学習
サポート体制
家庭での取り組み
・子供の勉強中は家族もテレビを消すなど、勉強の環境作りを心がけた
・受験勉強だけでなく、お手伝いや学校生活なども大切にするよう心がけた
・生活リズムが崩れないように心がけた
受験への取り組みが家族みんなでの取り組みだと思えたことは親にとっても子供にとっても有意義な時間であったのではと振り返って思っている。また、その時間を共有出来たことで子供の成長には効果があったと感じている。これらは家族にとって大きな意味を持っていふ。
もし受験活動開始時に戻れるとしたら、家庭での活動について当時の自分にどんなアドバイスをしますか?
結果如何に関わらず、家族で取り組むことが非常に有意義な時間になると思えました。空間と時間を共有して子供の成長を感じることは自分達を見直すことにもなります。目的も方向も一にしていることで一体感も強まります。
その他の受験体験記
千葉日本大学第一中学校の受験体験記
塾の口コミ
日能研 の口コミ
- 回答者
- 保護者
- 回答時期
- 2022年
目的と結果
中学受験のために通い始めました。 志望校がなかなか絞ることができず、結局志望校を2校目指して受験しました。 結果、受験した全ての学校に合格し、進学する学校を選ぶことができました。
成績が上がった理由 / 下がった理由
3人目なのである程度のノウハウは親の方も持っていましたので 宿題や問題集は間違いノートを作成し、解けるようになるまで何度もやりました。その予定やノート作りは親が管理しました。