小6秋「中学受験やめたい」から昭和女子大学附属に逆転合格!娘が立ち直れたきっかけとは?
「偏差値よりも、娘に合いそうな中高一貫校を選びたい」。そんな思いから始まった小林さん一家の中学受験。通学のしやすさや教育環境、校風を重視し、数多くの学校説明会へ足を運ぶ中で出会ったのが、第一志望の昭和女子大学附属昭和中学校でした。
しかし受験生活は順風満帆ではありません。6年生の秋には成績が急落し、「もう受験をやめたい」と言い出すほどの大スランプを経験。本命校の教員や塾の講師の励ましに支えられながら、親子で懸命に前を向きました。
さらに迎えた入試本番では、本命校も併願校もまさかの不合格。それでも娘さんは自ら気持ちを立て直し、再び試験へと向かいます。親子で本音をぶつけ合いながら歩んだ3年間。その先でつかんだ成長の物語には、これから中学受験を控えたご家庭に勇気を与えてくれるヒントがたくさんありました。
編集部
塾選ジャーナル編集部
塾選ジャーナル編集部です。『塾選ジャーナル』は、日本最大級の塾検索サイト『塾選(ジュクセン)』が提供する、教育・受験に関する総合メディアです。保護者が知っておきたい受験や進路情報をお届けします。
目次
【保護者プロフィール】
| お名前 | 小林 遥香(仮名) |
|---|---|
| お住まい | 東京都目黒区 |
| 年齢 | 47歳 |
| 職業 | ライティング業 |
| 性格 | ちょっと心配性で、つい先回りしていろいろと考えてしまう性格 |
| 家族構成 | 4人家族(父、母、長女、次女) |
【中学受験を行った子どものプロフィール】
| 子どもの名前 | 小林 ほのか(仮名)※長女 |
|---|---|
| 性別 | 女子 |
| 現在通っている学校名 | 昭和女子大学附属昭和中学校 |
| 現在の学年 | 1年生 |
| 受験当時に通っていた塾 | 日能研(3年生2月~) 併塾:ユリウス(6年生5月~) |
| 受験時にしていた習い事 | なし |
| 得意科目 | 国語 |
| 苦手科目 | 算数 |
| 性格 | 自分でじっくり考え、自分のペースで取り組みたい性格。学校では人前で役割を担うことをいとわないが、人目を気にし過ぎる一面もある |
| 受験結果 | ・昭和女子大学附属昭和中学校:本科AA不合格/本科B合格(第一志望) ・神奈川学園中学校:不合格(第二志望) ・八雲学園中学校:合格(第三志望) ・盛岡白百合学園中学校:合格(第四志望) ・長崎日本大学中学校:合格(第五志望) |
娘の性格に合った「完全中高一貫校」。6年間かけて自分の道を見つけられる環境に魅力を感じた

―最初に、中学受験を志したきっかけを教えてください。
我が家は、決して早い段階から中学受験を考えていたわけではありません。甥や姪が中高一貫校に通っていて、楽しそうに学校生活を送る姿を、「いいな」とは思っていました。とはいえ、小学校低学年までは中学受験をすることになるとは、まったく考えていなかったですね。
きっかけとなったのは、小3の秋に受けた入塾テスト。せっかくテストに合格して塾に通うのだから、私立の中堅校くらいは目指してみようかな、と考えるようになりました。
―中学受験のために通塾を開始したわけではなかったのですね。
ええ。むしろ入塾してから「中学受験を目指さないと、私も娘も塾に通うモチベーションを保てない」と感じていました。自然と流れに任せているうちにどんどん進んでしまったような気持ちでしたね。
―受験校を比較する中で特に重視していたポイントはありましたか。
前提として大事にしていたのは、偏差値だけを重視して背伸びをするのではなく、娘に合った学校を選びたいということです。実際の雰囲気を確かめるために、学校説明会には積極的に参加するようにしていました。
具体的には、娘本人の希望から女子校であること。また、高校からの外部募集がない完全中高一貫校であることも大切な条件でした。
娘は環境の変化に敏感なタイプだったので、高校から新しい生徒が入ってきて雰囲気が大きく変わらない学校のほうが合っていると思ったんです。そのほか、通学のしやすさや生徒への面倒見の良さ、進学実績なども見ながら、娘に合う学校を探していきました。
―第一志望の昭和女子大附属は、どのような点が魅力でしたか?
一番の魅力は、入学後にさまざまな経験をしながら幅広い選択肢から自分の進路を考えられる環境です。理系・文系・国際分野など幅広い学びや行事が用意されており、好奇心旺盛な娘にはぴったりだと感じました。
また、説明会でお会いした先生方もとても親身で、生徒への面倒見の良さが伝わってきました。娘も夏服のセーラー服や部活の体験が楽しかったようで、そこで接した先輩方が優しかったこともあり、「ここに通いたい」という気持ちが強くなったようです。
\わが子に合う志望校選びのポイント/

家庭学習は科目で担当を分け父・母が伴走。6年以降は個別指導との併塾で志望校対策を強化

―ここからは、受験時期の学習サポートについてお伺いしていきたいと思います。まず、日能研を選んだ理由を教えてください。
いくつか塾の体験授業に参加しましたが、日能研はいい意味で「塾らしくない」と感じたんです。もちろん受験塾なので競争はありますが、勉強だけではなく、学ぶことの楽しさを大切にしている姿勢が印象的でした。
また、担任制だったことも安心できましたね。先生方は学習面だけでなく子どもたちの性格・タイプに合わせた柔軟なコミュニケーションをとってくださったのもありがたかったです。
―家庭学習はどのように進めていましたか。
日能研は4~5年生のうちは宿題がほとんどなく、『栄冠への道』という家庭学習用テキストを使って自主的に復習を進めるスタイル。テスト範囲に合わせて基礎問題を中心に取り組み、余裕があれば応用にも挑戦するという形でした。
国語は比較的得意だったので、家庭学習の時間はほぼ算数や理科に重点的に充てていました。科目は夫が算数、私が理科と社会を担当です。娘が学校に行っている間にテキストを読み込み、テスト前には手作りのプリントを作ったり、YouTubeの語呂合わせ動画を活用したり。なるべく楽しみながら学べるように工夫していました。
―高学年になってからはユリウス(日能研グループの個別指導塾)も利用されたそうですね。
もともとは大学生甥が家庭教師のような形で勉強を見てくれていたのですが、だんだん内容が難しくなり、日程の調整も難しくなってきて。そこで夏期講習などのタイミングで、苦手な算数や理科の単元だけをユリウスで教えてもらうことにしたんです。
6年生の後半からは、本格的に志望校の過去問対策もお願いしていたので、受験直前期はとても助かりましたね。過去問の丸付けや解き直しまで見ていただけたので、親がすべて抱え込まずに済みましたし、娘も親以外の人に教わることで素直に取り組めていたと思います。
―昭和女子大附属合格に向けて、どのような対策に取り組みましたか。
志望校に合わせた対策授業の活用と過去問分析には、特に力を入れましたね。
日能研には、「日特」と呼ばれる志望校別対策講座があります。ただ、通っていた校舎では最上位校や上位校向けの講座が中心だったため、偏差値帯や出題傾向が近い学校の授業を受講して演習を重ねるしかなくて。
過去問分析で特に力を入れた科目は、主要な得点源となる国語と算数です。昭和女子大附属では毎年100文字作文が出題されるため、6年生の夏休み頃から作文対策に取り組み始めました。100文字で日記のような文章を書き国語の講師に添削してもらう、という練習をほぼ毎日行っていましたね。
苦手な算数では、入試問題の後半になるほど正答率が極端に低くなる傾向がありました。そこで、難問を無理に追うのではなく、基礎問題を着実に得点する方針に切り替えたんです。過去問10年分の大問1をコピーして、徹底的に反復演習を重ねました。
講師と相談しながら出題傾向を分析して、「どこで得点するか」を明確にできたことが、結果的に合格につながったと思います。
\通塾+家庭学習のポイント/

「もう受験をやめたい」6年秋の大スランプ。志望校の教員の一言が娘の背中を押してくれた

―通塾での良い影響も多かった半面、娘さんにとってはクラス替えや席順などによるプレッシャーもあったようですね。
ええ。娘にとっては、クラス替えや席順の影響がかなり大きかったと思います。大人からすると「次のテストで頑張ればいいよ」と思えるのですが、本人にとっては塾の中の世界がすべてです。席順が後ろになったりクラスが下がったりすると、とても落ち込んでいました。
分からない問題にぶつかると「もうやらない」と不機嫌になり、テストの結果が悪いと「席順が後ろになるのが嫌だから塾に行きたくない」と言い出すこともありました。勉強の内容そのものよりも、テスト結果やクラス分けに一喜一憂する娘の気持ちを支えることのほうが大変だったかもしれません。
ただ、今はそうした経験が決して無駄だったとは思いません。現状把握や目標達成方法を自ら見つける力は、その過程で身につきました。精神的につらそうな時期もありましたが、そうした競争の中で得た成長は大きかったと思います。
―6年生の秋には、大きなスランプを経験されたそうですね。
夏期講習を頑張ったのに、成績が思うように伸びなくて。偏差値が10近く下がってしまったこともありました。娘はもともと間違い直しが苦手で、理解が曖昧な部分を後回しにしがちなところがありました。おそらく、それまでの積み残しが一気に表面化したのでしょう。
一方で、塾はどんどん受験モードになっていきます。「頑張っているのに結果が出ない」という焦りもありましたね。
―スランプの時期は、どのような状態だったのでしょうか。
一番落ち込んでいたのは、昭和女子大附属を会場に受けた模試の結果が過去最低だったとき。本人も「第一志望の学校で受けられる」と楽しみにしていたので、余計にショックが大きかったんだと思います。
「もうテストを受けたくない」「塾に行きたくない」と言い始め、「ここまで頑張ってきたのだから、やらなきゃいけない」、でも「やりたくない」と理性と気持ちの間で苦しんでいるように見えました。親として、なんと声をかければいいのか、ずっと悩んでいましたね。
そんなスランプの最中、娘が「もう受験をやめたい」と言い出したんです。「本当に嫌ならやめてもいいよ」と言いましたが、内心では「このまま本当にやめてしまうのかな?」とずっと落ち着きませんでした。
勉強をする・しないの攻防戦の中で「嫌ならやめてもいいよ」という言葉はこれまでに何度もかけていました。でも、6年の秋ともなると私の気持ちも変わってきていたんですよね。
ここまで彼女が頑張ってきた時間を考えると、合格でも不合格でもいいから受験当日までたどり着いてほしいという思いが強くなっていました。
―どのようにして、スランプを抜け出すことができたのですか。
きっかけの一つには、塾の講師の存在があります。本来なら成績的には厳しい状況だったと思うのですが、娘の気持ちを察して「もうクラス替えはないよ」と伝えてくださったんです。クラス落ちへの不安がなくなったことで、娘も少し気持ちが楽になったようでした。
そして、「少しでもモチベーションにつながれば」と昭和女子大附属の学園祭に連れて行ったときにも素敵な出会いがありました。
その日は受験生向けのブースで制服の試着体験があり、娘は憧れの制服を着ることができてとてもうれしそうでした。私はその間に入試担当の教員へ現状をお話しする機会があり、娘がスランプで悩んでいることを相談しました。
すると、事情を知らない娘に「来年、待っているからね」と直接声をかけてくださったんです。さらに、「国語は100文字作文を続ければ大丈夫」「算数も基礎をしっかり固めれば大丈夫」と励ましてくださいました。
その言葉が、娘にも私にも本当に大きかったですね。学園祭から帰ったあと、「また頑張る」と言ってくれました。
\スランプを乗り越えた親のサポート術/

合格圏内だった併願校も本命初日もまさかの不合格。涙の翌朝、娘が自ら「覚悟」を決めた瞬間

―紆余曲折を経て迎えた、受験本番のお話をお伺いできればと思います。併願校・本命校の入試日程はどのように組みましたか?
1月上旬に前受け校として合格圏内の1校とチャレンジの1校で計2校を受験しました。実は塾の講師からは、「本命前に一度不合格を経験しておいたほうがいいかもしれない」と言われていたんです。失敗や挫折に弱い娘の性格を考慮して、本番前に気持ちの切り替えを経験しておいたほうがいいのではないか、という考えでした。
ところが結果はいずれも合格。特待生をいただく成績で順調なスタートを切ったものの、2月上旬の本命校入試が近づくにつれて、娘の気持ちの浮き沈みは激しくなっていきました。
1月末の日能研の壮行会で先生方や先輩方からたくさんの応援をいただいたことで実感が湧いたのか、「受験が怖い」と不安を感じているようでした。
―2月に控えていた第一志望から第三志望まで、いずれも直前模試では合格判定。しかし、想像以上に厳しいスタートが待っていましたね。
2月1日の午前に受験した第一志望の昭和女子大附属1回目は、成績的にも五分五分。一方、午後に受験した神奈川学園は、塾の講師からも「大丈夫だと思うよ」と言われていたので、どこかで安心していたんです。ところが、当日夜に発表された第一志望の昭和女子大附属は不合格。さらに、第二志望である神奈川学園も不合格でした。
ホテルに戻ると、娘はほとんど言葉を発しなくなってしまいました。一度だけ静かに涙を流したあと、ずっと黙り込んでしまって。塾への報告もしたくない…という状態でした。翌日の昭和女子大附属2回目を受けられるのだろうか、と不安を感じるほど張り詰めた緊迫感がありました。
―前受けでは順調に結果が出ていたぶん、本番初日の不合格は大きな衝撃だったのではないでしょうか。
翌朝も、最初は「怖い」「行きたくない」と言っていましたが、ホテルを出て学校へ向かう頃には無口ながらも落ち着いているように見えました。
学校に着くと、校舎の入り口に在校生から受験生への応援メッセージが掲示されていました。娘はその前でじっと立ち止まり、メッセージを凝視したまま10分ほどじっとして動きませんでした。
私は心配しながらその小さな後ろ姿を見守っていたのですが、しばらくすると何も言わず、振り返ることもなく校舎へ入っていきました。あのとき、きっと娘なりに覚悟を決めていたのでしょう。
―そして、前日の悪夢から一転。第一志望校の昭和女子大附属と、同日受験した八雲学園から見事合格をいただきます。
本当にほっとしました。結果を確認したときは塾の近くにいたので、合格が分かった瞬間にそのまま駆け込んで先生方に報告しました。

今振り返ると、一度不合格を経験したことは娘にとって大きな意味があったと思います。もちろん最初から合格できればそれが一番です。でも、現実を受け止め、自分の力で気持ちを立て直して再び試験に向かった経験は、受験を通して得た一番の財産かもしれません。
―無事に中学受験を終えた今、どのようなときに「受験してよかった」と思いますか。
憧れだった制服を着て、楽しそうに学校生活を送っているのを見るたびに「受験してよかった」と思いますね。
あの日、振り返ることなく校舎に入っていった娘の帰りを、何時間も祈るような気持ちで待っていた「人見記念講堂」。その場所で、部活動や学校行事で活躍する姿を見るだけで、今も涙が出てしまうほどです。
―受験までの約3年間。親子でたくさん話をする時間もあったそうですね。
はい。塾帰りの時間はふたりだけのコミュニケーションの場でした。当時は駅から自宅まで距離があったので、夜はいつも自転車で迎えに行っていたんです。
「ずっと座っていたから」と重いリュックを背負ったままどんどん走っていく娘の後ろを、私が自転車で必死についていくのですが、その道中で「今日こんなことがあった」「先生がこんな話をしていた」といろいろ話してくれました。当時はあまり意識していませんでしたが、振り返るとすごく貴重な時間でしたね。
―スランプなどつらい時期にも娘さんが本音を話せていたのは、お母様を信頼していたからだと感じました。思春期のお嬢さんと向き合うにあたって、意識していたことはありますか。
特別なことは何もしていません。私自身は、まったく大人らしく振る舞えていなかったと思います。子どもに対して本気でぶつかっていましたし、数えきれないほど親子げんかもしました。
でも、お互いに思っていることを率直に伝え合うことで、気持ちを整理できていたのかもしれません。
\中学受験で得られた娘の成長と家族の絆/

取材後記
中学受験の体験談では、「合格までの勉強法」が語られることが多いもの。小林さん一家の体験談で特に考えさせられたのは、親子が本音で向き合い続けた時間の濃さでした。
偏差値の上下や塾のクラス替えに悩み、入試を数カ月後に控えた6年秋には「もう受験をやめたい」と言い出した娘さん。「本当に嫌ならやめてもいいよ」と口にしながら、お母様自身も迷い、揺れ続けていたと言います。一方で、苦しい場面でも塾の講師や学校の教員に柔軟に相談しながら、最後まで娘さんのペースや思いに寄り添い伴走し続けた芯の強さが印象に残りました。親も悩みが尽きない中学受験。だからこそ、「一人で抱え込み過ぎないこと」の大切さを教えてくれます。
合否だけで終わらない中学受験。人との出会いや支え合いの温かさ、子どもの成長、そして家族の絆を育む機会にもなるのだと、改めて実感した取材となりました。
執筆者プロフィール
塾選ジャーナル編集部です。『塾選ジャーナル』は、日本最大級の塾検索サイト『塾選(ジュクセン)』が提供する、教育・受験に関する総合メディアです。保護者が知っておきたい受験や進路情報をお届けします。
注目の塾
PR