栄光ゼミナール 府中校の口コミ・評判
栄光ゼミナール 府中校 保護者(母親)の口コミ・評判【2018年04月から週3日通塾】(69468)
総合評価
5
- 通塾期間: 2018年4月〜2021年2月
- 通塾頻度: 週3日
- 塾に通っていた目的: 高校受験
- 成績/偏差値:上がった
- 第一志望校: 東京都立府中高等学校
総合評価へのコメント
総合的な満足度
和やかな中に厳しさがあったことで、甘々にもならず、厳しいすぎて辛いにもならず、自分の子にはちょうど良いバランスで、学びやすい環境だったこと。また、先生方の叱咤激励や個人の性格によるサポートが上手く、自分からできるように上手く促してくれ、その力が身につき、頑張っていけたこと。保護者に対しても厳しい言葉もはっきりと伝えてくださるので、安心してお任せできたから。
この塾が性格に合っていると思った点、合っていないと思った点
集団授業だったので、自分から発信できるかどうか、流されないか、そこがキーポイントでしたが、先生方がうまくサポートしてくださったので、さほど積極的ではない子でも、発信できるようになり、授業外でも質問するなどできるようになってきた。ただ、先生方に恵まれたからよかったが、そうでなければ、性格によっては単なる1人になりかねず、そこが集団授業の難しさではないかと改めて感じました。
目次
保護者プロフィール
回答者:
母親(40代・会社員)
お住まい:
東京都
配偶者の職業:
会社員
世帯年収:
701~800万
生徒プロフィール
通っていた学校種別:
公立
教室:
栄光ゼミナール 府中校
通塾期間:
2018年4月〜2021年2月
通塾頻度:
週3日
塾に通っていた目的:
高校受験
志望していた学校
成績について
入塾時の成績/偏差値:
45
(塾内模試)
卒塾時の成績/偏差値:
55
(首都圏模試)
費用について
塾にかかった月額費用:
30,001~40,000円
塾にかかった年間費用:
500,001~700,000円
塾にかかった年間費用の内訳
年間授業料 テキスト代 講習 模試
この塾に決めた理由
講師・授業の質
講師陣の特徴
若手で身近に感じるような先生から、保護者より年上であろう先生まで、色々なタイプの先生方がいらっしゃいました。若手の学生のような先生には、年が近い分、聞きやすく、接しやすかったようです。ベテランの先生方はやはり安心感がすごくありました。
生徒からの質問に対する対応の有無
あり
わからないところを聞いた
1日あたりの授業時間について
2〜3時間
授業の形式・流れ・雰囲気
集団授業だったので、学校と同じような授業形態での授業でした。雰囲気は、和やかな中に厳しさもあり、匙加減がちょうど良かったように感じました。確認テストを行い、授業、まとめという感じで、挙手や指名などありました。
テキスト・教材について
演習テキスト 毎日の課題 講習
指導方針・カリキュラム
カリキュラムについて
同じ学年、同じコースでも、習熟別にクラスが別れていたので、自分に合ったレベルのクラスでの授業を受けることができました。おかげで、物足りなさ、ついていけないがなくてよかったです。最初に前回授業の確認テストを行うので、自分の理解度がわかってよかった。
定期テストについて
模試のようなテスト、確認テスト
宿題について
受けた授業内容に沿った演習問題や毎日の課題と自主学習として復習が出されていました。宿題が復習のようなものに値するので、自然と復習が身についていたように思えます。少なすぎず多すぎず、学校部活との両立も可能な範囲内でした。
塾のサポート体制
保護者への連絡手段
電話連絡/メール連絡
保護者への連絡頻度・内容などについて
3ヶ月に1回
講習や模試、面談の案内が主な要件となっていましたが、その他、伝えたいことがあれば、先生から、こちらからと連絡を取り合い共有していました。欠席や遅刻時には必ず連絡をくださっていて、ありがたかったです。
保護者との個人面談について
半年に1回
塾での様子、宿題や提出物がどうか、各教科の担当からのコメント、成績について、自宅での様子、困っていること、塾への要望、受験について、志望校はどうするかなどでした。
成績が不振だった場合の塾側との相談・アドバイスについて
子どもだけでなく、保護者にもはっきりと現実を伝えてくれたので、ありがたかった。かつ、こちらの心配、不安にも寄り添っていただき、先生方には安心感と感謝しかありません。
塾内の環境(設備・騒音対策・衛生面など)
駅の近くだが、さほどうるさくもなく、特に感じない
アクセス・周りの環境
市内の中心地にあり、バス、電車で行きやすい。
家庭でのサポート
あり
スケジュール管理を主に行っていました。時間がある日、ない日とあったので、宿題をどうやって進めるかを話しながら計画を立てて、自分で立ててやっていけるようになるまでは、二人三脚で行っていました。