国学院久我山中学校に合格!小5の大事な時期、共働き母がとった3つの選択|親たちの中学受験体験記Vol.30
今回お話を伺った水野さんご家族は、最終的には7校中4校の合格を勝ち取り、第三志望の国学院久我山中学校への進学を決めました。4年生の夏に「学童代わり」として始まった塾通いから3年間、転塾や母親の仕事退職など、その都度家族として判断を重ねながら受験と向き合ってきました。
共働き家庭として中学受験とどう向き合ってきたのか。実体験から得た具体的な学びを伺いました。
編集部
塾選ジャーナル編集部
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目次
【保護者プロフィール】
| お名前 | 水野 麻衣(仮名) |
|---|---|
| お住まい | 東京都世田谷区 |
| 年齢 | 42歳 |
| 職業 | 会社員 |
| 性格 | 計画性があるが、おこりっぽいところもある |
| 家族構成 | 4人家族(父、母、長女・次女) |
【中学受験を行った子どものプロフィール】
| 子どもの名前 | 水野 彩花(仮名)※長女 |
|---|---|
| 性別 | 女子 |
| 現在通っている学校名 | 国学院久我山中学校 |
| 現在の学年 | 1年生 |
| 受験当時に通っていた塾 | 栄光ゼミナール→四谷大塚(5年生2月から) |
| 受験時にしていた習い事 | なし |
| 得意科目 | 算数・理科 |
| 苦手科目 | 社会 |
| 性格 | 明るい・リーダーシップがある |
| 偏差値 | 入塾時:40 受験直前期:53(合不合判定) |
| 受験結果 | 国学院久我山中学校:合格(第三志望) 日本工業大学駒場中学校:合格 埼玉栄中学校(医学コース):合格 佐久長聖中学校:合格 成蹊中学校:不合格(第一志望) 東農大一中学校:不合格(第二志望) 成城学園中学校:不合格 |
「親は女子校、本人は共学」──10校の見学を経てたどり着いた、長女に合う志望校の3つの軸

―まずは、中学受験を考えるようになったきっかけから教えてください。
「学童代わり」として塾に通い始めたのが出発点でした。共働きで娘は3年生まで学童に通っていたのですが、4年生からは学童がなくなって夏休みの長時間の行き先がなくなってしまう。住んでいる地域も公立小学校の児童のほとんどが中学受験をするエリアでしたので、4年生の夏休みから、中学受験に対応している少人数制の塾に夏期講習から入れたのが最初です。
「中学受験をやるぞ」と意気込んでいたというよりは、「もし受験することになった場合に備えておこう」くらいの温度感で、塾通いをスタートしました。
―そこから、志望校の候補はどのように出していきましたか?
最初は親主導で広く候補を見せて、娘の好みを引き出していきました。偏差値や共学・女子校の区別なく、施設の充実した学校から見せていったんです。すると本人のなかで「きれいな学校がいい」「共学のほうが明るくていい」と意見を持つようになり、徐々に見たい学校も増えていって。結果的に、10校ほど実際に訪れて見学することになりました。
―学校選びのなかで、親子で意見が分かれる場面はありましたか?
女子校か共学かで意見がわかれましたね。私自身は、中学受験経験者で「女子校がいい」と思っていたのですが、本人は「落ち着いている=暗い」というイメージを持ってしまったようで。
共学の校風や雰囲気に触れるたびに「明るいほうがいい」となっていき、最終的には本人の希望を優先しました。
―最終的に志望校を選ぶ段階では、どのような基準を大切にしましたか?
大きく3つです。乗り換えなしで通えること、持ち偏差値と乖離がないこと、そして共学であること。特に「持ち偏差値」の話で言うと、周りに「大逆転合格」をした子が一人もいなかったから、というのが理由です。
よく「偏差値55の子が65の学校に大逆転で受かった」といった投稿や記事をウェブで目にしますが、私たちの周りではほとんど全員、持ち偏差値どおりに進学先が決まっていました。
当日緊張しすぎて落ちる子はいても、模試の結果からかけ離れた合格・不合格はほぼなかった。だから模試の結果を見て、そこから現実的に狙える範囲で学校を選ぶ、という考え方になりました。
―現在通っている国学院久我山中学校を、受験校に入れた経緯を教えてください。
特に通いやすさと娘の偏差値との近さの面で、私たちの希望に合うと感じたためです。本人は別学ということで、特に最初は気乗りしていない様子でした。そのうえで、「なかなか偏差値に合う共学も見つからないから、ここは受けてみよう」と私から働きかけて。最終的には娘も納得して、受験校の一つに入れました。
―受験校を絞り込んでいく過程で、ほかにも印象に残っている話はありますか?
日駒(日本工業大学駒場)の倍率が、娘が受験する1年前に一気に跳ね上がっていたのは想定外でした。
それまでは「滑り止めだから受けても行かない」前提で見ていた学校が、急に競争率の高い学校に変わってしまった、という感覚です。
娘はなんとか1回目で合格できましたが、もし倍率がさらに上がっていたらどうなっていたかわからない。「危なかった」と振り返って思いました。中堅校でも、年単位でここまで難易度が動くんだな、というのが一番の学びです。
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「最後は3人になってしまって」──四谷大塚への転塾で引き出された、本人のやる気

―塾選びの面では、振り返って印象に残っていることはありますか?
5年生の2月に、栄光ゼミナールから四谷大塚へ転塾したことが一番大きかったかもしれません。決め手は大きく二つありました。
一つは、栄光ゼミナールの教室で生徒の入れ替わりが激しく、5年生の秋頃に娘を含めて3人しかいなくなってしまったこと。娘のなかに競争心が芽生えていて、それまではクラス内での順位をモチベーションに勉強していました。ただ、3人になると張り合いがなくなってしまったんです。
もう一つは、栄光ゼミナールには動画授業や振替授業がなく、休んだときのフォローが薄かったこと。これらが重なって、転塾を考えるようになりました。
―転塾先として、四谷大塚を選ばれた理由を教えてください。
娘のやる気を引き出すための「目標」として、あえて選んだのが一番でした。
四谷大塚は入塾テストの難易度も高く、そのうえで「これに受かれば転塾する」と本人に約束するかたちで受けさせたんです。チャレンジングなテストを設定することで、やる気が下降気味だった娘に刺激を与えて、「絶対に受かる」というスイッチを入れたかったのもありました。
―振り返って、転塾は良い判断だったと感じていますか?
すごく良かったです。特に「週テスト」と「成績優秀者のWEB掲載」は、本人が勉強を続けるモチベーションになっていた印象でした。
「週テスト」があって必ず点数が返ってくる。成績優秀者はクラスごとにウェブで名前が発表される──その仕組みが、頑張る動機になったみたいで、「また名前を載せたい」と自然に自分から勉強するようにもなりました。それに伴って成績も上がっていく流れができて、転塾した甲斐があったと感じています。
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「自分の部屋ならYouTubeを見ていた」──家族の生活を組み直して作った“受験できる環境”

―家庭学習の進め方で、特に工夫したことはありましたか?
リビング学習に切り替えたことです。これは、受験期間のなかで最大の転機でもありました。
私自身は、子どもの頃は「自分の部屋で勉強する」のが当たり前でした。その経験もあって、栄光ゼミナール時代はずっと自分の部屋で勉強させるようにしていた。ただ、あるとき部屋のドアを開けたら、娘がYouTubeを見ていて。先輩のお母さんにこの話をしたら「当たり前じゃない、リビングでやらなきゃダメよ」と言われたんです(笑)。
これを機にリビング学習へ切り替えたら、それまでよりも集中して勉強するようになりました。それまで本人任せにしすぎたな、もっとちゃんと見てあげればよかったな、というのは反省としてあります。
―リビング学習に切り替えた後、ご家族で気をつけていたことはありましたか?
5歳下の妹を、なるべく家にいさせないようにしていました。妹はまだ幼く、リビングで姉が勉強していても「ねえねえ」と話しかけてしまう。年齢が離れているぶん、言い聞かせても聞かないですし、たとえばイヤホンで動画を別室で見ていてもらうといったことも難しい年齢で。
周りのお母さんに相談したら「下の子は外にどこか習い事で出すしかないよね」と言われて、それに倣うことにしました。具体的には体操教室など習い事をいくつかさせて、姉が在宅している日は妹を家にいさせない運用を徹底していましたね。
―家庭学習はどのくらいの時間でしたか?時間の確保や配分の工夫があれば教えてください。
6年生になってからは、平日で1日2時間、土日や直前期は4時間ほどです。iPadのタイマーやホワイトボードのスケジュール表を使って、時間の確保や勉強のリズムを管理していました。
タイマーは、塾の先生から「50分勉強、10分休憩」のサイクルを教わって、自宅でもその設定で行っていました。スケジュール表は、毎日「何時から何時まで国語、何時から何時まで算数」と科目と時間を書き出して、リビングの見える位置に置いていましたね。
半年ほどは私が書いていましたが、最後のほうは本人が自分で書くようになって。自分で計画を立てて、自分で時間を区切る習慣が、受験勉強を通してちゃんと身についたと感じます。
―ご夫婦での役割分担はどうされていましたか?
受験まで残り1年になってから、私が仕事をやめて受験のサポートに専念していました。それまでは夫婦で特に分担を決めず、時間が空いているほうが見るかたちでやっていたんです。ただ、5年生の後半から塾の宿題量が一気に増えてきて、私も仕事と両立しながら娘の勉強をサポートするのが難しくなってきて。
最後の1年は、私が娘の受験を全面的に見て、夫が下の子(妹)を見る分担に切り替えました。
―お仕事を辞める決断をするとき、葛藤はありましたか?
葛藤がなかったわけではないですが、それ以上に、勉強どころではない喧嘩が増えていたのが最後の決め手でした。「なんで見ないの」と娘との喧嘩、「なんであなた見てくれないの」と夫との喧嘩で、家のなかが勉強どころではない状況になってしまって。
ちょうど下の子が小1に上がるタイミングでもあったので、それを機に踏み切りました。実際にやめてみると喧嘩もなくなって家庭が落ち着いたので、キャリア面はともかく、決断として悔いはありません。
―お子さんが特に苦戦した科目はありましたか?克服への取り組みと合わせて教えてください。
社会、特に鎌倉から江戸時代の歴史がいくら勉強しても身につかず、かなり苦戦を強いられました。
対策としてはトイレに年表を貼ったり、お風呂にラミネートした教材を持ち込ませたり。ただ、本人にとってはお風呂はストレス発散の場でもあったらしく、いつも叫んだり歌ったりすることに夢中で、結局あまり頭には入らなかったみたいでした。
それでも、トイレの年表のほうは毎日目に入るぶん、知らず知らずのうちに覚えていた時代もあったので、置き場所を生活動線に組み込む工夫自体は効いた部分もあったのかなと思っています。
―逆に得意な科目のほうはいかがでしたか? 最後まで順調に伸ばせたのでしょうか。
最後まで順調ではなくて、6年生の秋頃に大きなスランプが来ました。きっかけは、第一志望に考えていた成蹊中学校の過去問でした。
特に算数は娘が一番得意な科目で、基本問題までならほぼ満点を取れるくらいまで仕上がっていたんです。ところが、第一志望に考えていた成蹊の算数は、学校の偏差値帯から想像するよりも問題のレベルが高くて、応用問題のクセも強い。実際に過去問を解かせてみたら、合格最低点にまったく届かなかったんです。
「自分が一番得意なはずの算数で、第一志望の合格最低点に届かない」という事実が、本人のなかでものすごく重くのしかかってしまったみたいで。「もうダメだ、何をやってもダメだ」と、得意だったはずの算数すら開きたくない状態にまでなってしまいました。
―どうやってそのスランプから抜け出したのでしょうか。
塾の先生に頼り切ったのが、抜け出すきっかけでした。9月以降、塾のある日は授業が終わった後もそのまま教室に残って、自分が解けなかった応用問題を一問ずつ、先生に聞きにいく。それを毎日のように繰り返しました。
「わからないところは家で粘らず、その日のうちに塾で潰す」サイクルに切り替えたのが大きかったと思います。そうして応用問題の解き方のパターンを少しずつ学んでいって、しばらく経ってからもう一度成蹊の過去問を解かせてみたら、今度は合格最低点に届いたんです。
「できるようになった」と本人もはっきり実感できたみたいで、そこからまた算数に向き合えるようになりました。初見の応用問題は最後まで難しかったですが、「わからなければ先生に聞けばいい」という安心感を持って本番直前の期間を過ごせたのは、スランプの時期に身につけた習慣のおかげだったと思います。
\親のかかわり方のポイント/

6月のテストで倒れた娘が、本番で「あんなに人がいて面白い」と笑った──受験本番・8日間の波

―本番期に向けて、不安に感じていたことはありましたか?
娘が本番に弱いタイプかもしれない、というのが最後まで心配でした。
きっかけは、6年生の6月にあった四谷大塚の合不合判定テストで、本人がテスト中に緊張のあまり倒れてしまったことです。塾の先生からも「本番に弱いタイプかもしれない」と言われていて、「また倒れたらどうしよう」と、本番までずっと不安が頭の片隅にあったんです。
―実際に本番が始まり、どのような様子でしたか?
心配をよそに、本人は緊張どころか「面白かった」と笑顔で帰ってきました。1月10日の埼玉栄中学校が本番初日。大宮なので自宅からも一番遠い会場でした。行ってみたら、受験生がものすごい人数で。「あんなにいっぱい人がいて面白かったね」「イベントみたいだね」と楽しんで受けてきた様子でした。あれだけ心配していたので、いい意味で拍子抜けでしたね。あとから本人に聞いてみると、模試をたくさん受けたことで本番慣れしていたのも大きかったようでした。
家族でやっていた工夫としては、試験前には毎回、温かいココアを持たせていました。冬場で寒かったのもありますが、本人が「これを飲むと落ち着く」と言うので、お守りも兼ねて持たせていたんです。
―2月に入り東京の本番期に入ると、娘さんの様子はどうでしたか?
まず2月1日は午前に第一志望の成蹊中学校、午後に日本工業大学駒場という日程でした。その日のうちに日駒の合格がわかったのが、娘にとっては大きかった印象です。
成蹊は不合格でしたが、その後へのショックは小さくて済みました。塾の先生から事前に「1回目は受からないかもしれないけれど、2回目で受かるよ」と言われていたので、本人も「2回目で受かれば大丈夫」と気持ちを切り替えられていました。
1月の埼玉栄合格と合わせて、すでに「どこかには受かっている」という状態を確保できていたのも、精神的にとても大きかったと思います。
―その後はどのような流れだったのでしょうか?
2月2日と3日で、明暗が大きく分かれる二日間になりました。
2日は午前に国学院久我山に合格、午後の東農大一は不合格。ここまでは想定の範囲だったのですが、続く3日に受験した成城学園の不合格で、本人の感情が爆発してしまったんです。成城学園は過去問の相性が良くて、解かせるといい点数が取れていたので、本人も「絶対大丈夫」と思い込んでいた学校でした。
不合格だとわかった瞬間、たまたま夫が「え、なんで落ちたの」と口にしてしまって、そこから一気に感情が……。3日の夜は泣いて寝られず、翌4日の成蹊2回目は、その状態で迎えることになりました。
受験期間中で、一番の大事件でしたね。
―入学後の娘さんの様子はいかがですか?
私たちが想定していなかったほど、楽しく通っています。

國學院久我山は別学で硬い印象もあるので、本人は最初は嫌がるかなと心配していました。なので、入学早々「剣道部に入る」と言い出したのには驚きましたね。それまでまったく想像していなかった部活だったので。今では「明日も剣道部だから行きたい」「放課後に友達と残って勉強したい」と、毎日楽しそうに過ごしています。
その様子を見ていると、「住めば都」ではないですが、入ってみないと本人に何が合うかは本当にわからないものだな、としみじみ感じています。
―中学受験を通じて娘さんに起きた変化のなかで、特に大きいと感じるのはどんなものでしょうか?
自分から勉強する習慣がついたこと、スケジュールを自分で立てられるようになったこと、そして質問できる力がついたことです。
特に「質問できる力」は、想像以上の変化でした。以前は恥ずかしがって塾の先生に質問することすらできなかったのですが、「質問しないと進まない」環境に置かれたことで、自然と躊躇なく聞けるようになって。それに伴って性格も積極的になり、中学に上がってからは、ホームルームや委員会活動でも「私やります」と自分から手を挙げるようになっています。
受験を通して自信がついたぶん、新しい場面でも前に出ていける子になったのかなと感じています。
―最後に、これから中学受験に取り組む親子へのメッセージをお願いします。
一つは、「絶対に親が見ている前で勉強させてください」ということ。「うちの子は特別」と思わず、リビングなど目の届くところでやらせたほうがいい。これは難関校に通うどんなお子さんの親も同じことを言っていました。「子どもに任せすぎない」が私にとって一番の学びです。
もう一つは、「勉強ばかりではかわいそう」という気持ちもどこかで持っておくこと。日帰りでおいしいレストランに行ったり、たまに旅行に出かけたり。息抜きを意識的に組み込んでいくと、最後まで走り切れるのではないかと思っています。
子どもをパンクさせないペースを家族で作っていく、そのために親はできる限りのサポートをする。中学受験で親がやることのうち、それが最も大事かもしれません。
\受験本番期を走り切るためのポイント/

取材後記
水野さん家族の中学受験は、4年生の夏の学童代わりの塾通いからスタートし、転塾、母親の仕事退職と、家族で一つひとつの局面と向き合いながら進んでいきました。2月3日の夜、成城学園の不合格で娘さんの気持ちが一気にほどけた場面は、取材のなかでも特に印象的なシーンでした。
それでも翌朝には会場へ向かい、最後まで走り切れたのは、本人の粘り強さの表れだったと思います。「自分から勉強する習慣がついた」「質問できる力がついた」という水野さんの言葉からは、合否だけでは測れない3年間の収穫が、娘さん自身にしっかりと積み重なっていたことが伝わってきました。
中学受験は子ども一人の戦いではなく、家族で試行錯誤しながら取り組む時間なのだということを、水野さん家族の歩みは教えてくれます。
執筆者プロフィール
塾選ジャーナル編集部です。『塾選ジャーナル』は、日本最大級の塾検索サイト『塾選(ジュクセン)』が提供する、教育・受験に関する総合メディアです。保護者が知っておきたい受験や進路情報をお届けします。
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